日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

海の「当て逃げ」と砂漠の掟

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まずは、根室沖の漁船転覆事故で亡くなられた方に謹んで哀悼の意を表します。
asahi.comの記事によれば、第3新生丸と衝突したイスラエル船籍のコンテナ船を所有するZIM社の親会社会長と社長が、テルアビブの日本大使館を訪れ、衝突を認め謝罪し、ご遺族への支援を表明されたそうです。
取り返しのつかない事故ですが、(社会的あるいは政治的配慮があったにせよ)相手方から誠意ある対応があったことは、せめてもの救いでしょうか。
記事に書かれていた、船会社の会長の次の言葉が、「砂漠の掟」に通じるものがあると、印象に残りました。

事故当時は船長が甲板上にいなかったので、『知らなかった』という話にうそはないだろう。海の男が転覆した船を見て立ち去ることはあり得ない。自分が同じ立場に立つこともあるからだ

引用元:asahi.com: イスラエル船会社、衝突認め謝罪 根室沖の漁船転覆事故 - 社会

砂漠に暮らす人々も、同じような倫理観を持っています。
砂漠の圧倒的な自然の力の中に置かれると、人の力がなんてちっぽけなものか、しみじみと実感します。
そんな中で、つまらないエゴは役に立ちません。
最低限、助け合って行かなければ、人は生きて行けません。
ですから、見知らぬ者にも、井戸で最低限の飲み水は与える、出会った旅人には最低三日間は食事や便宜を提供する、という「砂漠の掟」があります。

海と砂漠の同じような助け合いの倫理観は、どちらが先にできたのでしょうね。
砂漠好きの私としては、人の暮らす場所は土の上ですし(水上生活というのは後になって出来た形でしょう)、砂漠から海へ広がったと考えたいです。
でも実際は、相互のつながりがなくても、その自然環境の制約から自ずと発生したものかも知れませんね。

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コメント(2)

こんにちわ。
はじめましてでしょうか?
私は15年くらい前に、サハラを縦断しました。
途中、ガソリンが少ない車と遭遇し、仲間の一人が「砂漠の掟だ」とか言ってえらそうに(笑)ガソリンを上げちゃいました。
私たちも、次の給油できるところまでぎりぎりだったから、最後「もし足りなかったらお前が車押せ」とかみんなに言われて、大笑いでした。

アルジェリアの南部、リビアとの国境に近い村でヒッチハイクしていた時、1週間車が来ませんでした。
幸い、一番最初にここを通りかかったイタリア人のランドローバーに乗せてもらえたのですが、少し走ったら板バネを支えるU時ボルトが折れてしまいました。
そこで、仮止めした部分のタイヤに荷重がかからないように、私はバランスをとるために屋根の上に乗せられました(汗)
真夏のサハラの屋根の上はなかなか大変でした。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2005年10月 4日 07:08に書いたブログ記事です。

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