日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

インターの英語(母語、中間言語、ピジン、クレオールについて)

| コメント(4) | トラックバック(1)

Lailaさんのブログでインターナショナルスクールの英語(以下「インターの英語」と略)についてのやりとりがありました。
インターの英語は、ネイティブの英語と違うみたいだ、という話です。
なるほどと思いつつ、それにつけられたコメントを読んでいると、要点が今一つつかめず混乱してしまったので、自分なりに話の流れをまとめてみました。

まず初めに、いくつかの言葉を定義しておきます。

中間言語
母語ではない言語を学んでいる人が使う、学んでいる言語と違う独特の言語体系。
「ある人が,英語を話そうとしたときにその人の英語は、英語を母語とする人たちの話す英語とは違っているのが普通です。 それは文法が少し間違っていたり、発音が少し違っていたり、その人それぞれに癖みたいなものです。 その異なった、英語であり 英語でない言語を中間言語と言います。 まあいわいる、日本語英語と言われるものです」(引用元:中間言語って何?
言語接触
異なる言葉動詞の接触。つまり異なる言語文化を持つ人の間でコミュニケーションを図ることです。
ピジン
「異なる言語を話す2つ以上の集団が接触するとき、無意識のプロセスを経て、接触に関与したどの言語とも相互理解が不可能な、それまで存在しなかった新しい言語が話しはじめられることがあるのです。それを「ピジン(pidgin)」と呼びます。」(引用元:言語接触とクレオール(98)
クレオール
「多くの場合ピジンはその有用性が失われると消滅してしまうのですが、状況により、ある集団の母語となることがあります。例えば、多言語社会で相互理解のためにリングア・フランカ(共通語)として使用されるようになったピジンが、その便利さ故に次の世代に母語として引き継がれるケースです。そのとき、つまりピジンがある集団の母語となったとき、それをクレオール(creole)と呼びます。すなわち、「クレオール=母語化したピジン」であり、ピジンが母語化することを「クレオール化(creolization)」といいます。」(引用元:同上

発端はこちら。

インターの英語は、英語圏の英語とは違うことがある

引用元:ブレネリさん、Switzerlandってどこよ?:インターの英語

インターの英語に感じる違和感について話され、それをピジン的なものとして見られています。
つまり、インターの英語を、いろいろな母語を持つ生徒間の言語接触によって変化したものと見られているわけです。

英語圏で覚えた英語と非英語圏でインターに通うことで覚えた英語は、質的に異なる

引用元:ブレネリさん、Switzerlandってどこよ?:インターの英語 補足

続く上の投稿では、視点を変えられています。
非英語圏でインターに通うという条件設定がなされ、学校外、つまり家庭や生活環境にその違和感の原因を探られています。
つまり、インターの英語は、学校における生徒間の接触言語(=生徒間共通のもの)ではなく、中間言語の問題(=各個人のもの)ではないかという見方です。
そうなら、非英語圏で暮らしていても、家庭でも英語を使っている家族の子供はその影響が非常に少ないことになります。
しかし、一方で

英語が「第一言語/一番自由に使いこなせる」人でも、そう思う

引用元:同上

と述べられ、英語が母語の場合もその影響が小さくないと考えられています。
では、非英語圏のインターとは、どのような状況なのでしょうか。
それはインターの英語が、ピジンではなく母語化、つまりクレオール化した場合のように思われるのですが、どうでしょうか?

それからここまで読んで浮かんだ疑問。
そもそも母語と第1言語って常に同じ定義なのでしょうか?
例えば、まず母語があります。
しかし、学校でずっと別の言語を学び、それが一番自由に使える言葉になった場合、どちらを母語というなんでしょうか?
母語は不変で、習得した言語が一番自由に使えても、それはやはり第2言語なのでしょうか?
あるいは母語と第1言語が違うというのでしょうか?

話を元にもどしましょう。
2番目の投稿は、以下のような3番目の投稿に続きます。

「自分自身じゃなくて、子供がこれでネイティブと思い込む親がいるのは危険だと思うけれど、それが残念なんじゃなくて残念なのは「ホンモノの母語」を持てる状況に本来はあるのにも関わらず、敢えて(人為的に)「ホンモノの母語」を持てない状況になってしまう事。」(手結川 中マロさん)
とか、
「完璧じゃないと駄目、とか、そういうことじゃなくて、一般的には、その土壌の中に育たないと、ほんとのネイティブらしい言葉は育たないということはあるんじゃないのかなあ。」(まり餡子さん)
に、要約されているような気がしてます。

引用元:ブレネリさん、Switzerlandってどこよ?:インターの英語 マロに丸投げ編

前半部分は、英語以外を母語とする子どもが、インターで、英語を主要言語として習得する場合、後半部分は、母語は何かを問わず、非英語圏で英語を主要言語として習得する場合、と見ていいでしょう。
つまり最初の投稿と2番目の投稿でのお話を違う言葉でまとめられています。

上のふたつの条件は、先の3つの投稿とLailaさんが引用された手結川中マロさんのブログの投稿、そしてそれぞれの投稿のコメントで、どうもはっきり区別されずに議論されているようです。
それが、私が混乱してしまった原因のようです。

結論の出る話ではありませんが、インターの英語は、ピジンなのか、クレオールなのか、母語とは違う中間言語なのか、どうなんでしょう?
それは学校のある場所や話す人ひとりひとりの環境によって違う、とお茶を濁してしまいましょうか(笑)

おまけ(その1)

ところで、うちの娘は日本で生まれましたが、1歳くらいから5歳くらいまでフランス語圏におり、(妻は娘に母語で、私は娘に日本語に決めて話しかけていましたが)夫婦間の会話はフランス語、家の回りの友達や幼稚園でもフランス語という環境でした。
日本語を話しても、「お父さんの車」が「車のお父さん (= voiture de mon père)」という風に、時々ロジックがフランス語式になっていました。
そのことから母語はフランス語かな、と考えていました。
しかし日本に帰ってきたら、あっという間に日本語が中心になり、今ではフランス語のロジックが日本語式になることがあります。
先ほどあげた疑問につながるわけですが、母語、第一言語が変化したのでしょうか?
あるいは、娘は母語が確立しないまま、ここまで来てしまったのでしょうか?
でもいくら心配しても過去は変えられません。
日本語を母語と決めて、一生懸命教えようと思います。
それには、娘とたくさん話をするのこと。
そして、幸い本好きなので、たくさん本を読んでもらおうと思います。

おまけ(その2)

以下は、上の話の流れとは切れていますが、ちょっと気になったので書いておきます。
ただ、自分の中で消化しきれていません。
もしかすると、間違って解釈しているかも知れません。
その場合は、厳しくご指摘ください。

英国に住んでいると、英語は、長い歴史の中で育まれ現在に至っている生物なんだなぁと、しばしば感じ入ります。
どんなに「いわゆる教育程度の低い」英国人でも英語で生きてきた親から、英語で生きてきた土地で英語で育てられ、一生を英語で生きてきた英国人の英語はアナログの暖かみを持ちながら生きているんです。

デジタル化できない。
理屈で割り切れない。
採りたての野菜の様な泥がついていたり 切ったら血が出たり 生きているんです。
(よく「生きた英語」って言うけど、これこそ本物の「生きた英語」だと思う^^:)

その英語は、一種、お家芸の様な伝統とも言えるでしょう。
「親が話した英語」を子供も話す様になるんです。
(アクセントだけじゃなく、語彙・表現その他、言語全ての面で)
つまり、親(そして祖父母を含む家族や地域そのもの)が子に伝える英語なんです。
世代から世代に伝わる英語。
生まれ落ちてから、聴いて聴いて聴き続けて やっと自分も喋れる様になって その一言一言に周囲が反応して やっと自分のものになる英語なんです。
根太い英語なんです。
そんな英語と、記号として習い組み立てて作る英語とが違うのは当然でしょう。
(改行位置を変更させていただきました)

引用元:インターの英語

手結川中マロさんの仰る通りだと思います。
そして、親が母語が英語でない場合、子どもの母語を英語にしようとしたする難しさはよく理解できます。

しかし、手結川中マロさんと私の間に認識の違いもあるなと思いました。
それは使う英語が、同じか違うかの議論が、立派か否か、同等か否か、という論調になっているように思われるからです。

例えば、「いわゆる正統的英語」じゃないけれども「半英語圏(英語圏以外で公用語に英語をもちいている国)」では成り立つ地域独特の英語も 例えば英国英語と同じく「立派な英語」なんだ、という意見が近年勢いもってる様子よ。

半英語圏の独特な英語は、英語の多様性を示しているし、それも一種の英語の財産であるし立派な英語は立派な英語で否定されるべきものでは全く無いのんだけど英語しか使えない国で英語人が長く育ててきた英語と比べるべきものじゃない。
全く別物。
(改行位置を変更させていただきました)

引用元:インターの英語

これは、インドやガーナやガンビアやナイジェリアの英語、モロッコやアルジェリアやセネガルのフランス語が「立派な英語」か否かという話になるのでしょうか。
インド生まれ、インドで暮らしたラドヤード・キップリングの英語
トリニダードにインド系の家庭に生まれたV. S. ナイポールの英語
アルジェリア生まれのアルベール・カミュのフランス語
マダガスカル生まれのクロード・シモンのフランス語
いずれも、「半英語圏」といわれる国で生まれたノーベル文学者です。
個人的にはゴンクール賞を取ったモロッコ生まれのタハール=ベン・ジェルーンのフランス語も加えたいです。
彼らの英語やフランス語は、手結川中マロさんにとっては

もちろん、非英語圏の英語系国際学校で学ぶ非英語家庭の子供や英語圏の非英語家庭の子供の英語が「記号として習い組み立てられた人為的な英語」になるとは限りません。

引用元:同上

と例外的なものかもしれません。
しかし上で列挙した高名な作家たちの英語やフランス語ほど昇華されたものでなくても、少なくとも私の知っているモロッコやアルジェリアやセネガルのフランス語は、フランスのフランス語とは違うけれど、それはそれなりに「生きた」「根太い」フランス語だと感じています。

言語は生き物です。
人、社会、文化とともに変化します。
イギリスの英語も、デーン人の影響やノルマン・コンクエストで一時期大きくフランス語化したりもしています。
ルネッサンス期には、文学を通じてギリシア語やラテン語などの古典語やスペイン、イタリア語などからの借入も増え、論理や文法規則が大きく破られることで、近代英語が作られています。
ですから、個人的にどっちがわかりやすいとか、どちらがきれいに聞こえる、という事は言えても、ある地方の言葉を基準にしてその派生言語やクレオール化に優劣を付けたり、「立派」かどうかという見方はできないと思います。

トラックバック(1)

トラックバックURL: http://sahelnet.org/mt/mt-tb.cgi/488

【国ぎわ族】自己責任雑記帖 - 第一言語(インター英語2) (2005年11月 2日 23:25)

前々ブログ「インター英語」にjujubeさんから頂戴したTBへのコメントが長すぎたので、こちらに載せます。サイト「SAHERNET」そしてブログTENER... 続きを読む

コメント(4)

TBありがとうございました。
マロ自身の意見は、彼女に譲るとして、
ここで書いていいのかどうかはわかりませんが、私の「インター英語」関連の投稿には、あれを書かせるきっかけとなった複数の人物(及びblog)があるのですが、それに言及してしまうと、あからさまな個人攻撃(特に未成年に対して)になるので、一般論として書いたことが、論点をぼかしてしまった一因だと思います。
あのテーマは、書くまでに1ヶ月以上考え、どうしたらうまく書けるか考えたんですが、結局あの書き方になりました。
タイトルは「インター英語」でも、内容は「英語育児」「親子留学」なんです。
本やネットを通して知ったこともあれば、インターの多い土地柄なので、ここではいろいろと耳にすることもあります。

ところで、私はあいちゃんの第一言語は仏語から日本語にシフトしたと考えますが、どうですか。
ここで敢えて母語と書かないのは、私にはあいちゃんの心と言葉の関わりがわからないからです。
個人的にはその人のルーツとも言える言葉が母語で、第一言語というのは、その人が機能的に一番使いこなせる言葉でしょうか。
(母語と第一言語がズレている人もいますよね。)
この辺りは、定義次第という気がしますが、いかがでしょうか。

はじめまして〜!中マロです。
本日はインター英語についてTBありがとうございました〜!!

実は、Lailaさん経由で
ムスリム系遊牧民のお兄様のご勇伝にひかれて
何度か、こっそりおじゃまし、お嬢様の可愛らしい
(というよりも「美しい」ですね。正真正銘の。)
お写真等を拝見させていただいておりました(^^)。

コメントを書き始めたら、なんとも長〜〜〜くなってしまったので
(おそらく字数超過で入らないでしょうから^^:)
拙ブログの方に載せ、文中リンク・TBさせていただきました。

ご覧いただければ幸いです(^^)。

それでは、また、遊びにうかがいますね!
更新、期待しております☆

手結川 中マロさんと妹へ

コメントとトラックバックありがとうございました。
お返事作成中です。
しばらくお待ちください。

わかりますー。
このLailaさんの記事じつはよんで、ワナワナと怒りがこみ上げたんです。。というのも私は100%日本人ですが、アメリカ国籍保持者、日系人なんですね。
10歳から日本にしばらくすんでいて、インターというかアメスクにいっていたけど、たしかに英語が母語じゃないひとはいっぱいいるわけ、
でも、そういうひとたちの英語が変だとかじゃなくて、いいまわしなんて、人によってちがうし、アメリカ国内だって中西部と海岸沿いじゃちがったりします。教授の好みもちがうし、APAがMLAかとかね。
だから、インター英語がどーのこーのいうまえに、伝わるかがもんだいじゃないかなーとおもいます。
ぼくは日本語は独学で、10歳からまなびました。なぜなら、MomとDadは英語ではなすからです。Momは日本生まれだけど、Dadは日系人だから苦手です。
とにかく、インターだからとか、どこだとか、べつに、いわれたくないんですよね。
言語学ぶのはしんどいっす。日本人だけど、日本語ができないときのもどかしさとか、自分で経験してわかるけど、たとえ言い方がしぜんじゃなくても差し支えなしですよ。

コメントする

このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2005年11月 1日 21:49に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「サバク、砂漠、沙漠」です。

次のブログ記事は「マリへの旅」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。