9月末、万博の開催期間が終わった後、たくさんの友人ができたマリやモーリタニアのスタッフから、いろいろな記念品や展示品をいただいた。
マリからはトゥアレグの革や木綿のテント、ゴザ。
モーリタニアからはヒツジの皮でできた遊牧民の敷物や、遊牧民の女性がラクダに乗る時に鞍のように使い、テントの中では物置台になる伝統的な道具を譲り受けた。
これらの品物は、これから日本で、いろいろな機会にマリや遊牧民の生活を紹介する時に使わせていただこうと思う。
マリのスタッフが、宿舎を引き払う前日に相談があると呼ばれた。
残った販売品の後始末や、ビザがあるのでまだしばらく日本にいたいが、滞在できる場所はないかという相談だった。
ぎりぎりになるまで放っておいたというか、こののんびりしたところがまったくマリ人らしい。
しかし笑っているだけではすまない話なので、宿舎の管理をされている方と、大慌てで滞在できるところを探した。
4人はウィークリーマンションに。
そしてふたりが我が家に来ることになった。
家にきた二人はマリンケ(民族名)。
民族ごとにまとまったようで、マイノリティーだったマリンケがはみ出してしまったようだ。
帰国方法の相談も受けた。
聞いて見ると、何人かの航空券は万博滞在期間中にすでに有効期限が切れている。
後数日で切れるというスタッフもいる。
しかし、万博で「稼いで」いるので、帰国旅費はなんとかなるらしい。
後でわかったことだが、うっかりビザが切れてしまっていたスタッフもいた。
こんな風に万博が終わってからもハプニング続出。
あれから一月ちょっと経ち、ひとりはバンコク・アディスアベバ経由の安いフライトを手配し既に帰国。
ビザが切れていた者も、すぐに入国管理局に相談し、後数日で出国の予定。
我が家に滞在中のふたりのうちのひとりも、やはり一番安かったバンコク・アディスアベバ経由で今日の午後セントレアを出る予定。
パリの郊外があんな状況で、パリ経由にしなくて良かったねといっていたら、エチオピアも選挙後にひどい状況になっていた。
心配していたが、少し事態は沈静化してきたようだ。
アディスアベバの飛行場が閉鎖されていないことを祈るばかり。
こんな感じでバタバタと過ぎた一ヶ月だったが、私以外にフランス語が話せる相手、それも同国人がいてくれたのは、妻にとってはずいぶんストレス発散になったようだ。
妻の相手をさせられていたふたりに感謝。
力仕事もずいぶん手伝ってもらったようだ。
海外の万博スタッフが30人ほどが予定日に帰国していない、という記事を9月頃に読んだ。
マリのスタッフの方たちには、そのようなことのないように、悪い報道でマリの名前が出て、マリに対して日本人が悪い印象を持つことは避けたいね、と何度も話した。
確かに、全財産に近い牛を売り払い万博に参加した、という裏話を聞いたりすると、その分以上に稼いで帰れるといいね、と思う。
法に触れることのないことなら喜んでお手伝いをしよう。
しかし、滞在期限が切れて不法滞在したり、認められない仕事をしたり、ということは絶対にサポートしないよといってある。
私たち家族が知るすべてのマリ人の万博スタッフが、全員満足して無事に帰国された時にようやく、愛知万博が終わったと思えるだろう。
<万博はまだ終わらない
万博会場でマリのスタッフと出会い、その人柄に惹かれ、いつか必ずマリへ行こうと密かに計画している中年のおばさんです。
スタッフの一人からメールをもらいわくわくしながら開けたところ、内容は深刻でどう返答していいのかわからず返信できませんでした。
彼に申し訳ないのと、10月20日に宿舎を出ると言っていたので今どうしているのかとても心配しています。
このメンバ-の中にいて、無事に帰国できると、いいのですが、、、
ここを見つけたとき、私は胸が熱くなりました。そして、あなたの行動にとても感謝します。
あと大変申し訳ないですが,わかる事がありましたらメールにて連絡をお願いできないでしょうか。
猫猫
> スタッフの一人からメールをもらいわくわくしながら開けたところ、内容は深刻でどう返答していいのかわからず返信できませんでした。
これに対して思うところを別の投稿にしました。
読んでみてください。
お探しのスタッフについては、メールをお送りしましたので、そちらで。