日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

サヘルで、他人に支援を求めるということ

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万博はまだ終わらない」という投稿にいただいたコメントから。

スタッフの一人からメールをもらいわくわくしながら開けたところ、内容は深刻でどう返答していいのかわからず返信できませんでした。

マリに限らずサヘル地域では
・家庭の大変な事情を説明され、経済的な支援を頼まれる
・単純に、時計が欲しい、カメラが欲しい、辞書が欲しい、とものをねだられる
ということがよくあります。
路上にも物ごいがたくさんいますね。

サヘルの路上の物ごいや、仕事関係者や友人・知人から経済的な支援の依頼などに対して、日本人には、強い拒絶反応を示す人が多いなあと思いました。
あ、猫猫さんのことではなく、サヘルで暮らした感想ですよ。
今回は、他人に支援を求めることの多いサヘルの人々の考え方の背景を、私の知識と経験からできる範囲で少し説明してみたいと思います。
(ニジェールの食糧配給の事例のように、支援をすることが、逆に彼らの自立を遠ざけることになるのではないか、という議論もありますが、これについては、また別の機会に書いてみたいと思います)

1.あなたにチャンスをあげているんだ

一般にイスラム圏には、「持てる者は持たざる者に手を差し伸べるのはよいことだ」という考え方があります。
そもそもこれは、イスラム圏に限らない倫理観でしょう。
それが、西アフリカのイスラム圏ではもうちょっと進んで、「持てる者は持たざる者に手を差し伸べるべきだ」というようなところもあります。

セネガルに「小鳥売り」という商売があります。
路上や、レストランやカフェなどに流しで、小鳥がたくさん入った鳥籠を持った「小鳥売り」がやってきます。
これは、日本人が考える「小鳥売り」とちょっと違います。
小鳥は自分が飼うために飼うのではありません。
逃がしてやるために買うのです。
小鳥売りは、ゆとりのある者に、鳥を逃がすという善行をさせてやっているのです。
功徳を売っているわけです。

だから、施しを受ける場合も、もちろん感謝の念がないわけではありませんが、施した者に対してそれほど遜る(へりくだる)わけではありません。
良いことをさせてあげているわけですから。
しかし、もちろん西アフリカの人たち誰もがそうだというわけではありません。
私の義父は、私に亡くなるまで一度も経済的な援助を頼んだことがありませんでした。

2.ほかの誰かにお返しを

ギブ・アンド・テイクの考え方も欧米や日本と違います。
施しを受けた者と、施した者のふたりの間でそれが完結するわけではありません。
助けられたら、自分ができる時、できるかたちで、別の誰かを助けてあげればいい、という考え方です。
神の下ではみな同じ。
ほかの人に対する善行も神は知っていて、同じように評価してくださる、それがまわりまわればいい、ということでしょう。
ガットゥサフ:恩の対象に、同じようなことが書かれていました。

話が逸れましたが、要するに、経済的な支援などを、割と気軽に頼む人が少なくない、ということです。

3.ダメ元

そして一番目の考え方と繋がっているわけですが、最終的な判断はあなた、無理なら仕方がない、できることならよろしく、という考え方が強いです。
つまりダメ元で、気軽に経済的な援助などを頼むことも多いです。

そしてたくさんの人にそうやって当たっていると、互助制の強い社会ですから、どこかで何とかなることが多いようです。
話を聞いているともうどうしようもない状況のようなのですが、リミットを過ぎてみると、なんとかなったじゃないか、と感心することが少なくありませんでした。
タバスキ(イードゥ・ル・アドゥハー、犠牲祭:イスラム教の巡礼の月の後の一番大きなお祭り)にヒツジが買いたい、服を新調したいけれどまったく現金がない、と言われ、それでも来る人すべてに支援もできませんから断って、大丈夫かなあと心配していたら、タバスキ当日、服を新調し、ヒツジもちゃんと捧げていた、なんて例は数えきれません。

じゃあどうするか

当たり前のことしか言えませんが・・・
何か頼まれた時は、無理のない範囲で、できる事であれば引き受け、できない時にははっきりと(あるいは、ある地域の文化では婉曲に)断ればいいと思います。

相手の望むところには及ばないけれど、無理なくできる範囲で、何かをしてあげれば、相手の希望から遠くても、とても喜ばれるでしょう。
ただし、サヘルの社会に入ってしまうと、支援を頼まれることがあまりにも多いので、それにすべて答えていたら、自分に何にも残らなくなる、と思います。
自分のできる範囲の線引きが難しいですね。

支援を求める手紙に対して、返事をしないのも、ひとつの意思表示として伝わると思います。
それもひとつの方法でしょう。
日本と同じようにプライドを重んじることが多いですので、人前で拒絶するのはまずいことが多いですが、二人だけの時、あるいは手紙などで断ると相手の対面も保ててトラブルが少ないようです。
それは私のできる範囲を超えています、と手紙で答えても、人間関係が壊れることはないと思います。

先ほどは、大変そうでも結構何とかなっているようだと書きましたが、本当にどうにもならない状況で、結局どうにもならない場合ももちろんあります。
しかし、そんな場合でも、支援しなかったからといって、恨まれることは少ない(ゼロではないでしょうが)です。
それを運命と受け入れることが多いようです。

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コメント(1)

私は、自分自身で、自分勝手に、深刻になりすぎたみたいです。

もっと、頭の中を柔らかくして、冷静に対処します。

有難うございました。  気が楽になりました。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2005年11月 9日 02:55に書いたブログ記事です。

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