日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

変わること、そして写真を撮るということ

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毎日訪れているたけやんの写真ブログ遊牧民的人生 a Life as Bedouin
1年後、恐らくこの光景はありません。 変わらなければならないことへの焦り。 変わり急ぐことへの不安。 街と共に、人々の心もどこかざわついているような気がします。 引用元:遊牧民的人生 a Life as Bedouin : GRAND HAMAD St. - DOHA, May 2006
という文章に目が留まりました。

1.同じ砂漠の縁に暮らす人々として

ドーハには、生粋のカタール人と、ドーハに暮らす外国人がいます。 これらの人々をひとつにして語る事はできません。 ドーハに暮らす外国人については、私はほとんど知識がありません。 また、生活レベルの高いカタールの首都ドーハにおいてリーダー的な立場で暮らす生粋のカタール人の暮らしや考え方をサヘルの遊牧民たちと比べるのはおかしな事かも知れません。 しかしそれでも、ムスリムであり、砂漠の近くに暮らす人々ということで、考え方に似ている部分も多いのでは、「ドーハの人々」と勝手にひとくくりにして考えてみました。 私のささやかな経験ですが、モロッコやアルジェリアの人々は、砂漠の中だけでなく、地中海沿岸の人々も、マリやモーリタニアの人々と共通する部分がとてもたくさんあると思いましたから。 というわけで、まあ、そんなあやふやな前提の上で考えた事です。

2.変化にタフなサヘルの人々

サヘルの人々の暮らしは、長い間変わっていません。 これからもそう簡単には変わらないでしょう。 彼らと25年付きあって思うのは、暮らしの表層がどれほど変わっても、暮らしの原理とでもいうのか、生きる為の姿勢とでもいうのか、その価値観は私たちが考えるほど大きく揺らぐ事はないのだろうということです。 大きな視点で見れば変わらない砂漠の自然は、しかし目を凝らすととても不安定なものです。 去年大雨が降ったから、ことし旱魃にならないとは決して言えません。 いつ疫病が流行るか、家畜が死ぬかわかりません。 そんな中で暮らす人々は、投げやりではないけれど刹那的で、諦念観とも違う大きな許容力を持っています。 私は明日の事を考えていないような図太さが、サヘルの人々の価値観の元だと思っています。 確かに、ラジオ、車、携帯電話などが暮らしの中に深く入り込み、行政による地域の再分割は、人々の暮らしの表層を変えました。 しかし、彼らの考え方の根っこは変わっていないと感じています。 もちろん彼らの価値観は決して普遍的なものではなく、長い時間の中でゆっくりと、しかし確実に変化しているのでしょう。 ですが、たとえ大きな事件があったとしても、短期間のうちに急激に変わるものではないと思っています。

3.焦りと不安があるか

さてここでやっと、初めの引用に戻ります。
1年後、恐らくこの光景はありません。 変わらなければならないことへの焦り。 変わり急ぐことへの不安。 街と共に、人々の心もどこかざわついているような気がします。
「ドーハの人々」は、変わらなければならないことへの「焦り」があるのでしょうか? 変わり急ぐことへの「不安」があるのでしょうか? 変えようとする人々がいるから、町は大きく変わりつつあるのでしょう。 その人たちには、他国に負けまい、一歩先を行きたいという強い気持ちはあるでしょう。 でも変え急ぐ人々には変化への不安はないでしょう。 では、その変化を是非の有無なく受け入れている大部分の人々には焦りはあるのでしょうか? サヘルの人々は、面倒な手続きでも加わったならブツブツ愚痴は言うでしょうが、もともと一寸先はどんな状況下わからない中に暮らしていますから、焦りも不安もなく、変わりつつある事をずぶとく受け入れてしまいそうです。 結局それは、暮らしの表層的な変化に過ぎませんから。 「ドーハの人々」も急激な暮らしの変化に、ざわついているところはあるかも知れませんが、案外図太くそれを受け入れているのではないかと思いました。

4.心の鏡としての写真

そして、今変わる事への焦りと不安を感じているのは、実は他ならぬたけやん自身ではないかと思いました。 言い古されたことですが、写真は撮る人そのものだと思っています。 それを通して、否応なく撮影者の心の中が垣間見えてしまいます。 心の支えでもある友人の弟の死 仕事のため(それ以外の意味もあるでしょう)に離れたその友人との距離 そんな変化による空虚感 自分の仕事ひいては暮らしを変えようという意思と将来への不安 そんな状況とそれによる心の奥底の焦りや不安が、たけやんのあのコメントを、もっと言うなら『変わらぬもの、変わりゆくもの』というテーマを、今選んだ理由なのではないか、と思いました。 たけやん、頓珍漢な事を言っていますか? でも最近の写真を見て、もしかすると大きく変わるかも知れない今の状況を伺って、そう強く感じました。 大好きなあのブログの写真と言葉を通して、これからも、彼の生き様、生きていくための取捨選択、その時々の気持ちを、一喜一憂しながら見せていただき読ませていただきたいです。 陰ながら応援しています。 そして私自身、きれいなだけの写真でなく(それは技術がないのでもともと無理)、拙くとも正直な気持ちの伝わる写真を、写真ブログejanjanに少しづつアップしていきたい、と改めて思いました。

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コメント(2)

たけやんです(笑

確かに変わり急ぐ事に私自身が強い不安を感じています。
同時に、それはこの国を長く見てきたベテラン出稼ぎたち、
あるいは生粋のベドウィンをルーツとする一部のカタール人たちの
気持ちでもあると思っています。
出稼ぎたちは、この国の変化が直接自分たちの暮らしに影響を及ぼすゆえに、
そしてベドウィンたちは、経済最優先の急激な変化によって、
伝統や慣習といったものが押し流されていく様子に、
それぞれ不安を抱いているのを、私は普段彼らと接する中で感じています。

この国の経済を動かし、急激な変化の先頭を切っているのは、
実はイランなど周辺国をルーツとする(=先々代頃に移住してきた)人たち。
彼らはこの地に自分たちのものとして誇るべき歴史も文化も持たないために、
発展と変化に拠り所を見出そうとしているのです。

ということは別にしても、
>>今変わる事への焦りと不安を感じているのは、
>>他ならぬたけやん自身ではないかと思いました

はい、その通りです(笑
未だに不安定要素の多い生活ではありますが、
ぼちぼち次のことを考えなくてはいけないなぁと思ったり、
でも、そうすることで起きる変化に不安もあるわけで。

う〜ん、不安とは違いますかねぇ、なんというか、もやもやしてるというか。

しばらくはこんな感じが続きそうです。

たけやん(TAKE Cさん)、さっそくコメントありがとうございます。

なるほど、今、国を変えている人たちの中心は、生粋のカタール人ではないんですね。
勉強になりました。
西アフリカでは、レバノン人が似たような立場かも知れません。
彼らは、セネガルやマリの国籍を取っても、国籍を得た国に決して同化しません。
レバノン人としてのアイデンティティを維持しています。

カタールの暮らしの変化は、最近始まった事でなく、第2次大戦後、中東のエネルギー資源の利権が世界の心臓となって以来続いていると思います。
しかし、最近の変化は、これまで以上に加速しているのですね。

> 彼らはこの地に自分たちのものとして誇るべき歴史も文化も持たないために、
> 発展と変化に拠り所を見出そうとしているのです。

なんだか大西洋と太平洋の間の大国の話のようですね。

たけやんの写真、毎日楽しみにしています。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2006年6月 4日 12:57に書いたブログ記事です。

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