池澤夏樹のメールマガジン「新世紀へようこそ 097」(3月20日)から
政治家でも軍人でもないぼくたちは、この戦争がイラクの普通の人々にとってどういう現実であるか、それを想像してみなければいけないと思います。
戦争が始まりました。
戦争に反対しましょう。
グローバリゼーションの進む現代に、これほど無茶苦茶な戦争(一方的な攻撃といった方がいいでしょうか)が起こるとは思っても見ませんでした。
先のメールマガジンからさらに3か所引用します。
今晩は、怒りで震える手で書き始めると怒りが増長し眠れそうにないので、この簡潔で明快な文章の引用で済ませます。
アメリカは、フランスが拒否権を行使すると言っているから決議案を撤回したと言っています。まるで言うことをきかないフランスが悪いみたい。
国連ができた時、一国の勝手な欲望から戦争が始められないよう、安全保障理事会という制度が作られました。主だった国の合意のもとに国際社会を運営してゆく。拒否権というのはそのための最後の歯止めであり、合意がないことの表明です。
今回のイラク攻撃を国連は認めなかった。安保理の中間派6か国、いわゆるミドル・シックスはさまざまな圧力を受けながら、よく踏みとどまりました。フランスが拒否権を使う場面はたぶんなかったでしょう。
だからアメリカは国連を回避した。あるいは無視した。
そして戦争を始めた。
つまり、アメリカは世界を私物化した。
イラクの人々をサダム・フセインの圧制から解放するための戦争であるとアメリカは言いはじめました。
たしかに、ある国で一部の国民が極端に不当な扱いを受けたり、つぎつぎに虐殺されたりしている時、国際社会はそこに介入すべきだという説があります。旧ユーゴスラビアの内戦の時はこの理由によって国連軍が武力を行使しました。
しかしそのためにはどの段階で介入すべきか周到な議論が必要ですし、現実にはそれでもなかなかうまくいかないようです。まだ歴史が浅いし、試行錯誤が必要なのでしょう。
この問題については最上敏樹氏の『人道的介入』(岩波新書)が詳しいので読んでください。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/400430752X/impala-22/
いちばん大事なところを引用します——「もし加害者への攻撃が許されるとすれば、それは現に虐殺がおき(ようとし)ており、かつ、加害者に攻撃を加える以外に手段がない場合に限られる。それも国々が勝手な判断でおこなうのではなく、国連のような世界的機関の集団的な判断に基づく、集団的な措置でなければならない」。
いずれにしても今のイラクは「人道的介入」を必要とするような事態ではありません。それが必要なのはイスラエルの方です。
まして、国連がそれを認めていないのにアメリカが勝手に他国の国民を「解放」するのは、武力による内政干渉すなわち侵略です。
メディアに言いたいことがあります。
アメリカ軍の動きを報道することを控えてください。飛び出すミサイルや、離陸してゆく戦闘機、したり顔で成果を説明する司令官、これらは戦争ではありません。
戦争とは破壊される建物であり、炎上する発電所であり、殺された人々、血まみれバラバラになった子供の死体です。水の出ない水道、空っぽの薬箱、売るもののないマーケット、飢えて泣く赤ん坊、それが戦争の本当の姿です。そちらを映すことができないのなら、戦争を報道することなど最初から諦めてください。
今の段階で攻撃側の動きばかり伝えるのは、この道義なき戦争に加担することです。
池澤夏樹さんの引用文、
とても説得力がある文章です。
明晰かつ冷静で、特に最後の文には、
とても共感を覚えます。
いっぱい書きたいことがあるのに、
何をどう書いていいのか。
〉グローバリゼーションの進む現代に、これほど無茶苦茶な戦争(一方的な攻撃といった方がいいでしょうか)が起こるとは思っても見ませんでした。
今風のグローバリゼーションだからこそ、かも知れませんね。反グローバリズムで毎年大荒れするDavos会議を見過ぎたせいか、グローバリズム=ネオ帝国主義のように思えてきます。
ニュースで日本がアメリカ支持を表明、と伝えられるたび、穴があったら入りたい気持ちがします。
アメリカに、「しっぺがえし」なんていつかはあるんでしょうか。
グローバリズムは今後も進んでいくのでしょうね。
サヘル地域でもそうです。
好む好まざる、良い悪いに関わらず。
強者と弱者ではそれによって受けるものが違う。
だからこそ、強者に弱者の立場の視点を持ってもらいたいのですが・・・
(すみません。言葉足らずなのはわかっていますが、書き始めるととても長くなりそうなのでまた機会を改めて)