日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

地図にないしるし

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昨日は、地図にまつわる思い出を書きました。
今日は、砂漠の暮らしと旅で学んだ、地図には描かれない風景についてお話ししたいと思います。

サハラの暮らしを知ると、地図にはない、いろいろな「しるし」が見えてきます。

●足跡

午前中についた砂の上の家畜の足跡は、その行く先に草場か水場があることを示しています。
その足跡の来た方向には、人の住むキャンプがあります。
夕方の足跡はその逆です。

無風の日が続いた時には、足跡がいつのものかわかりにくいですね。
でも、足跡と一緒に落ちている糞の乾燥具合を見れば、足跡が新しいか古いかわかります。

ラクダの足跡が、木から木へ移動していたら、それは放牧されているラクダです。
これも、人の住んでいるところはそれほど遠くないしるしです。
ラクダの足跡が、間隔が広い速歩なら、そのラクダは旅の途中でしょう。

ウシの足跡があれば、ウシの行動半径はラクダよりずっと小さいので、井戸か住居がそれほど遠くないことがわかります。

小さめの裸足の人の足跡があれば、それはたいてい女性か子供です。
これも、人の住んでいるところが遠くないしるしです。
その足跡が、午前中についたものなら、薪を取りに行ったか、市場へ行ったのでしょう。
あるいは井戸に水汲みに行ったのかも知れませんね。
そして夕方なら住居へ戻る足跡です。
行きの足跡より帰りの足跡が深ければ、水を運んでいるからでしょう。

ハイエナの足跡があったら、生まれたばかりの家畜には注意しないといけません。

野生のシカの足跡があれば、遊牧民の目が輝きます。
ご馳走にありつける可能性がありますから。

このように、実際に人や家畜にあわなくても、足跡からいろいろなことがわかります。

●糞

足跡がなくても、糞が落ちていれば、そのあたりにどんな家畜や野生動物がいるのか知ることができます。
ゾウの糞を見たことがありますか?
巨大な鏡餅みたいなんですよ!

●草木のしるし

枝を刈られた木は、人がいる(いた)の痕跡ですね。
切り口が新しければ、住居が近いのでしょう。
切られた木がたくさんあれば、遊牧民のキャンプではなく村が近いのでしょう。
その日のうちに誰かに会える可能性はとても高くなります。

樹種ごとの樹形を知っていると、伐採があったかどうか見分けが付けやすくなります。

木だけでなく、草もよく見ると、家畜に食べられた跡がわかります。
これも、家畜そして人が住んでいるしるしですね。

足跡がわからない固い地形のところでも、食べられた草木が低いところだけなら、ヤギかヒツジ、高いところも食べられていたらラクダがいることがわかります。

●井戸

砂漠の中には、涸れて打ち捨てられた井戸もあります。
地図の上では、井戸に水があるのかないのかわかりません。

水の豊かな井戸には、当然人と家畜が集まります。
集まった家畜は、自分の番が回ってくる間井戸の周りで待たされ、そこにたくさんの糞が落ちます。
ですから、生きている井戸の周りは遠くからも黒っぽく見えます。
ですから、わざわざ井戸をのぞき込まなくても、遠くからでもその井戸が使われているかいないか判断できます。

あるいは、家畜の足跡は、井戸から放射線状にそれぞれの草場や住処に向かっているので、それから井戸の方向を知り得ることもあります。
井戸の近くまで行っても、足跡や糞がない、周囲の草が食べられていなければ、その井戸は使われていない可能性が高いことがわかります。

●匂いと音

3.0とか4.0以上などという視力を持った遊牧民には、遠くにいる人や家畜をみつけたり識別する能力では決してかないません。
けれど聴力や嗅覚では、日本人の私も彼らにそれほどひけをとりませんでした。
時には私が先に、薪の匂いやロバの鳴き声を聞きつけて胸を張ることができました。

砂漠のたき火は、料理のためだけでなく、寒い季節には暖をとるため、雨期には虫除けのため、そして明かりでもあります。
夜遠くに見えるこんなたき火は、人の存在を知らせてくれる灯台のようです。
明かりだけでなく、風に乗って流れてくる木の燃える匂いも、風上で薪を焚く人の存在を教えてくれます。

また、人や家畜の足跡がなくても、風に乗った家畜の声、木を切る音が、人間の存在を教えてくれます。
遠くの雲や雨の匂いで、避難する場所を早めに決めることもできます。


砂漠では、このような地図に書かれていない情報を、足下のそして周りの風景から知ることが、地図を正しく読むことと同じように大切なことでした。

そして自然の中のしるしを頼りにラクダの旅を続けていると、サヘルの人々といっても街に生まれ育った人々よりたくさんのしるしをみつけられるようになりました。
100頭のキャラバンが通った中からも、自分のラクダの足跡を区別できるようになりました。
眠っていても、自分のラクダの声がすると、それを聞き分けて目が覚めます。
家畜の好きな(あるいは食べない)草木を学ぶと、やみくもにあちこちの木の下の足跡を探さなくても効率よく家畜を探せるようになります。
土壌と樹種の関係を知ると、移動中、どこで家畜にえさを与えてあげればよいのかわかります。

自然の中のしるしは、草木や動物や人が「砂漠の中のほらここに私がいるんだよ」と主張しているメッセージです。
そしてある日、自分も毎日の旅や暮らしを通して、自然の中にたくさんのしるしを残しているんだと気がつきました。
砂漠の民は私に会わなくても、ラクダに乗って通っていった人間がいたことを知ってくれます。
自分がその時生きてそこにいたことを知る人がいる、と思うことは旅の力になりました。

厳しいけれど、草木も動物も人も生きているあかしをたくさん見せてくれる砂漠の自然は、自分自身が生きていること、その喜びやありがたさも実感させてくれました。
そして砂漠がますます好きになりました。
(2003.4.10改)

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コメント(2)

まだまだjujubeさんほど深いところまでは入り込んでいませんが、私も沙漠に魅了された人間です。

老後は沙漠でラクダとひなたぼっこ、が夢です(笑

ドーハに移って、砂漠から少しだけ遠くなってしまいましたが、それでもラクダに会いに行くことはできますし、沙漠を知り尽くしたベドウィンたちとの関係が切れたわけでもなく、やはり贅沢な場所に暮らしているなぁと思います。

沙漠の魅力って、言葉では言えないですね。

TAKE C さん、
いつでもラクダに会えるのはいいですねえ!

砂漠の魅力について書いてみました。
13日の書き込みを読んでみてください。
ほんとうに言葉では伝えきれないんですけれど。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2003年4月 9日 06:33に書いたブログ記事です。

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