自然の中のしるしは、草木や動物や人が「砂漠の中のほらここに私がいるんだよ」と主張しているメッセージです。 サヘルで暮らしていて、ある日、自分も毎日の旅や暮らしを通して、自然の中にたくさんのしるしを残しているんだと気がつきました。
昨日書いたことですが、それで思い出した私の青春の1ページ。
砂漠の民は、蛇の(あしがないけど)足跡を見つけると、それを蛇の巣まで辿って蛇を殺します。
迷子になった家畜は、何日も足跡を追って探し出します。
ある日、村に泥棒が入りました。
しかしトゥアレグがその足跡をどこまでも追って泥棒を捕まえました。
だから砂漠には泥棒はほとんどいません。
こういう様子は、なるほど、さすがだなと思いながら見ていました。
でももっと感心したことがありました。
マリの北部のトンブクトゥの近くで、砂漠の暮らしとラクダの扱い方を学ぶために遊牧民トゥアレグのキャンプに住み込んでいた頃のことです。
キャンプといっても、隣人のテントが見えない距離にそれぞれのテントは離れているので数キロの広さがあります。
ある日、友人の遊牧民と歩いていると、砂の上の足跡を指さして彼が言いました。
「さっきモハメッドとイブラヒームがハッサンのテントに行ったみたいだね」
彼は、足跡のサンダルの形、大きさ、歩幅からそれが誰のものか、足跡の向かっている先からどこへ行ったか読み取ったわけです。
「私の足跡も覚えてるのかい?」
「もちろん。キャンプのみんなの足跡を知っているよ」
彼は、誰それは誰の娘のところに通い詰めているんだ、黙っているけど足跡でみんな知っているんだよ、と笑いながら教えてくれました。
むむむむ、砂漠では夜遊びするとしっかりばれちゃうわけです。
このことをしっかり「学習」しました。
それから4年後、妻と知り合い、仕事が終わると、てくてくと1kmほどあるいて妻の家族のテントに遊びに行きました。
足跡から彼女のうちに行っていることが村人にバレるのは、以前の「学習」でわかっていました。
そこで表向きは、妻の父に会いに行っていることしていました。
でも、妻に会いに行っていることを村中みんな知っていたんでしょうね。
絶対にそうですよねー。
ん〜、思い出すと恥ずかしい〜
青春の思い出でした。
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