日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

肌の色

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娘が小学校に通い始めて早いものでもう一ヶ月たちました。毎日元気に学校に通っています。
ただ、ここ最近、自分や両親の肌の色をずいぶん気にしています。白くなりたいと言うようになりました。お風呂に入って体を洗う度に、「白くなったかなあ?」と聞きます。
今日やっと、お風呂の中でその理由を教えてくれました。○○君というおともだちから、
「あいちゃんのママは色が黒い」
「お風呂に入らないから色が黒い」
「あいちゃんのママは汚い」
と言われたそうです。
そこで、娘にはこんなふうに説明しました。

「ママは、アフリカの太陽の光がいっぱいあるところに住んでいたでしょ?」
「太陽が強いところで、お肌が白いと、顔や手や足が赤くて痛くなっちゃうんだよ」
「だからママのお肌は太陽にまけない色なんだよ。いいでしょう」

「パパとあいちゃんも、ママと同じ色だよね。」
「だから、パパもあいちゃんも、大好きなアフリカに行った時に、顔や手や足が痛くならないんだよ」

「それから、パパは、ママのお肌の色はとってもきれいだと思うな」
「パパは、ママの色が大好きだからママと結婚したんだよ」
「パパみたいに、あいちゃんの色もきれいだと思うおともだちもたくさんいると思うな」
「先生もあいちゃんの色が好きだと思うよ」

「あいちゃんのおともだちも、暖かくなってお外で元気に遊ぶとママと同じ色になるよ」
「夏になってプールに入るようになったら、○○君もほかのおともだちも、きっとママより黒くなっちゃうよ!」

妻の国籍、言葉、肌の色は、娘にとって、これからいろいろな形で問題となるのでしょう。
私たち夫婦は、結婚した時、日本に戻ると決めた時、差別や偏見を覚悟し、時にこの問題と向いあってきました。しかし娘にとっては、それは理解を超えた、選択することのできない、うむを言わせず自分の身に降りかかってくる問題です。
今回は、それほど深刻な問題ではないかもしれません。しかしそれは、これから娘が立ち向かわなければいけない苦しみの始まりだと思いました。ですから私は、今回の娘の悩みを軽視しないで、真剣に考えようと思いました。娘にわかるように、娘自身が差別や偏を持たないように一生懸命話をしました。

避けては通れないかもしれませんが、娘から、少しでもこの問題による苦しみを減らしてやりたいと思います。
そのためには何ができるのでしょうか。

まず何より私自身が、妻の国籍、言葉、肌の色などが決して悪いことでも恥ずかしいことではないと、言葉だけでなく妻への愛情と行動で娘に示してやりましょう。
娘が、それを自分のアイデンティティの一部として、恥じることなく誇りを持って受け入れられるように。
そして、娘が精神的に強く成長できるように、いろいろな機会に、偏見や差別をしないものの見方を教えていきましょう。
それから、娘が心ない言動に深く傷ついてしまう前に手をさしのべてあげられるように、常日頃から娘の様子に気を配りましょう。
もし傷ついてしまったら、何をおいても夫婦で一生懸命に娘を支えましょう。
明るく暖かい家庭を築き、維持していきましょう。

先生には、何をお願いすればいいのでしょうか。
○○君に「そんなことを言わないように」とお願いするだけでは何の解決策にもならないと思っています。言動のひとつひとつにこだわっていてはきりがありませんから。こどもたちが偏見や差別というものを理解しなければ、同じようなことが繰り返されるだけでしょう。
小学校1年生のこどもたちに、差別や偏見について理解してもらうのはとても難しいことですね。なにより問題はこどもたち自身でなく、そのようにこどもたちが受けとめてしまう社会や家庭環境にあると思います。
そんな社会に対しても微力でも何かをすることが、国際結婚をした私の義務だと思っています。
こどもたちとその両親に、アフリカの話をしましょう。アフリカの素晴らしいところをたくさん話しましょう。
私たち夫婦ができることは一生懸命やっていきます。ですから学校でも、この問題に対してできることを考えてみてください。まずは、どうかこどもたちと娘の様子をよく見ていてやってください。
小学校1年生という時間は、スポンジのような吸収力のあるこどもたちにとっては小さくない時間だと思います。こどもたちは小さく、抽象的なことを教えるのはとても難しいでしょうが、子供たちとの気軽なお話を通して、彼らが差別や偏見について考えたり、差別を持たなくなるようなきっかけを与えていただけたらと願います。
(2003.8.6改)

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コメント(7)

難しい問題ですね。

子供と言うのは「異質なもの、違っているもの」に対して(良くも悪くも)関心を示すものですが、そこにマイナスイメージを持ち込むのは、やはり周囲の人間、特に親の影響が大きいように思います。

ただ肌が黒い、というだけで、汚いという発想にはならないと思うんですよ。そうなってしまうのは、テレビなどの影響と、やはり親の言動じゃないのかな、と。

海外に住んでいると、大なり小なり差別に出会います。特に湾岸アラブは「自国民とそれ以外」という階層社会なので(汚い言葉で罵るということはまずありませんが)、生活の中での扱われ方は、明らかに差別があります。私個人は、余所者が「ローカルと同じ扱いをされない」ことに腹を立てるのはおかしい、と考えていますが。

湾岸に駐在している日本人の中には「湾岸アラブに文化など無い」などというとんでもないことを平気で言う人もいるそうですが、そう言いきれるほど、実のところは何も知らないんですよね。ローカルたちと直接話したこともなければ、彼らの歴史や生活について調べたこともない。

知識不足、経験不足、そういったものが「無意味で実態のない」差別を生み助長していくのかもしれません。

こんにちは、こちらでははじめまして(^-^)
マリの生活などを取材しました。私の知らないことがたくさんありました。先ず、知ることだと思いました。

自分の周りの自分にとってはかかわりもなく小さいと感じる差別や偏見には、関心を払わない人たちがとても多いと思います。小さなことが長い間に積もり積もって大きな問題になっていくのに・・・。

小さなことにも誰かがきちんと反応できるように、大人が意識しないといけないでしょう。

フランス人の夫は、日本人の私の肌の色を、「銅の色できれいだ。」と言ってくれます。そして、私の肌の色が好きだといってくれます。そんな風に褒められたのは生まれて初めてでした。そして、その日から金より、銀より、銅が好きになりました。

子供は3歳ぐらいになると、しっかりとものを見て理解できるようになり、自分の意思もあります。黙っていても大人のやっていることを見ています。うまく言葉で表現するにはまだ時間がかかる歳ごろですが、だんだん大人のことを真似するようになります。大人は子供に差別や偏見の種を植え付けないように、行動する努力をしないといけないと思います。

画用紙にクレヨンでいろんな色を塗ってみましょう。子供たちはどんな色が好きでしょうか。好きな絵を描いてみましょう。きっといろんな色が飛び出してきます。そして色んな色があることはとても楽しいことだと気づくかもしれません。

色んな音楽を聴きましょう。そして、好きなように体を動かせば、色んな音が素敵に聴こえるでしょう。

自分たちの秘密の言葉を作っておしゃべりしたら、言葉の面白さに気が付くかもしれません。

小さな子供たちには、そんなふうに学校でも、家庭でも、近所の子供たちにも、分かりやすく工夫して話してあげたいです。

今日は。初めまして。jujubeさんのホーム・ページ、また上記の文章を読み、大変関心を抱きました。

 私は、フランス人で、それで外国人の祖先は今のところ、いないらしいです。日本で「白人」と呼ばれる人です。肌が白くて、太陽の日差しが怖いです。しかし、少しでも私も子供の時、差別を受けました。肌は他の小学生たちより白かったから、「アスピリン」と呼ばれていました。白人だっても、その他の子供たちと少しでも色が違うと駄目みたいですね。
 最も言われたのは、私の髪の毛の色についてでした。それ程目立っている色でもありませんでしたが、少し赤かったため、たくさんの嫌なことを言われました。色のみならず、「赤毛の人たちは本当にくさいの?」ということも友達に言われました。冗談でしたが、やはりフランスでそういう偏見があります。私は、「赤毛」と言われるのは嫌でしたので、母は「君の髪の毛は赤くなくて、ベネチア風金髪だ」と言われました。その言い方は、昔のベネチアの絵画に描いてあった女性の赤い髪の毛についてでした。やはり、「赤」というのはいい言葉ではなかったみたいですね。
 大人になったところにも、「私の髪の毛は赤い」と親、姉妹に言ったら、「いいえ、いいえ、ベネチア風金髪だよ」と優しく言われていました。やはり、親戚は私の髪の毛の色について私が不満、コンプレックスを持って、かわいそうだと思っていました。でも、いつか「いいえ、僕の髪の毛は赤いよ。それでいいよ。みんなと違って、いいよ。それで、僕は自分の赤毛が大好き!」と言いました。まわりの人たちの見方が変わらなかったけれど、私の自分についての味方が変わりましたので、すっきりしました。
 勿論、フランスでの赤毛の人たちに対しての差別は、日本でのアフリカの人たちに対しての差別とかなり違うと思います。でもやはり、jujubeさんのあいちゃんへのメッセージはもっともです。jujubeさんはあいちゃんと奥さんの色が好きだというと、あいちゃんは自信を作れて、後で学校で色々言われても、あいちゃんは自分のことを攻めないと思います。それで、あいちゃんは本当に可愛いと私も思います。
 差別、人種差別主義は深刻な問題で、なくなるまで時間と努力はたくさん必要でしょう。人間は自分のアイデンティティを感じて、確かめるために、差別を良く使います。でも、諦めてはいけません。
 日本人はヨーロッパ、アメリカなどと比べて、それ程外国人を差別していると私は思っていません。ただ、人種主義の危険について、意識は殆どないと思います。これから、日本でも移民は大勢来るので、かなり大きな問題になるかもしれません。
 jujubeさんのホーム・ページをこれからよく見ます。色々教えてください。jujubeさんの持っている考え方、経験、知識などは、世界の中の寛容に役に立つと思います。
 大変下手な日本語で文章を書いてしまい、申し訳ありませんでした。

TAKE Cさん、桃李さん、Franckさん、みなさんの言葉でたくさん元気をもらいました。
ありがとうございます。
私自身が、心ない言葉を気にせず、恥じず、一人の女性として尊敬と愛情を持って妻と接することが、娘への一番の励ましだと思います。
これからも私たちを見守ってください。
幸せな家庭を作っていきますね。

ニジェールで検索している途中で立ち寄りました。
かわいい娘さんですね。
イジメという言葉で私自身の経験を思い出してしまいました。
私自身が小学校を転校した後で正常な人間関係を築けなくなり、
おかしくなった経験があります。
今から思えば当時の世相を反映した子供世界の残酷さ、
通過儀礼のようなもので、私自身が後から来る子供を、
加害する側に回ってしまえば避けられた事なのかもしれません。
その時は精神的に自分自身が大丈夫だと子供心に思い続け、
両親に迷惑を掛けちゃいけないと言う思いだけが先立って、
最終的には学校に行っても机に腕を突っ伏して、
休み中も誰とも話をしなくなったり、
最終的には黒板も見れなくなったりしていました。
其の当時の死ぬほど苦しんだはずですが、
しかし子供心には身体の柔軟性もあって、
苦しみを苦しみとも理解できないままに、
気付かない内に心身をおかしくして行きました。
心がいじけると体もそれにつれて変化していきます。
無理な姿勢を本来なら皆が楽しんで暮らすべき学校で続け、
大人になって頚椎板も痛め頭痛や顎痛に苦しんだりしました。
くれぐれも御子さんとのコミュニケーションは頻繁にされて、
往々にして柔軟な故にダメージに気付かない、
一般的な子どもの例に漏れない御子さんの将来に、
陰を落さないように気をつけてあげて頂きたいと思います。
子供の世界は自由で平等ですが残酷な面もあります。
他者への加害を動機として強く持っている子供が、
必死でイジメを焚き付ける場合もあるように思います。
そうした時に子供だけに気にするなと教えても限界があります。
教師も公務員ですから問題を抱えるよりも問題を看過します。
私の目撃した他の被害者の場合はそうでした。
最後は親と子供の緊密な連絡と家庭教育、
それに子供に出来るだけ多くの交友関係を作れる状況を、
準備してあげる事だと思います。
そうした悪意を持ってイジメを焚き付けるような子供でも、
友達を沢山持っている子供に対しては、
絶対に攻撃を仕掛けようとはしませんから。

時々、お邪魔しています。
 今回のお話が私の過去へとしっかりと結びつくものだったので、アドバイスにはならないかもしれませんが、他の方とは違った立場だと思ったので、書き込ませていただこうと思いました。
 私の娘は、8歳まで医師が将来の時間を約束できない種類の病気でした。日本の私立の幼稚園に半年入れましたが、私が馴染めませんでした。と、言いますのは、先生にはどんなに普通の子供たちと同じように扱っていただきたいと申し上げても通じなかったのです。私なりに、紙芝居を作って読ませていただいたり、出来るだけ顔を出して関わりを持つように努力をしましたが、結局は、腫れ物である娘には、怪我をさせたくない、というのがお立場でしたから、変わって頂ける筈もありませんでした。
 結局、いくつも回ってここぞ、と思えたのは、インターナショナルスクールだったのです。
 逃げた、と言われればその通りです。でも、いつまで生きられるかわからない、だけど自分にとって一番大切な娘に、健常なお子さんと同じように人生を経験をさせたいと思ったのです。
 最初に、親の私に出来たその学校の生徒のお母さんは、インド人の方でした。私よりもかなり年下でしたが、どんな時も笑みを絶やさない素敵な人でした。4歳の娘に彼女が握手の手を差し伸べた時、娘は、咄嗟に手を引っ込めて、「おててに、いろがうつらない?」と私に聞いたのです。私は、赤面するのを自分で感じましたが、教えていなかった自分に気が付きました。娘には、病気の事は、個性だと教えていましたから、それを下地にこの件に関しても、遠い陽射しの強い国に住む人たちの個性である事を説明しました。彼女は、納得して握手ができるようになりましたが、自分の病気の事は、理解してくれない人がある事を既に感じていました。
 彼女ー私の娘は今、非常に芯の強い子に育ちました。他人には親切で柔らかく接するけれど、嫌な思い、痛い思いを通じて、他の人にそう感じさせたくないと考えていると思います。私は、「どうしたら優しくなれるか、」との娘の問いに、自分が強くなる事、弱い人は悲しみを自分のものにして、人の事を考える余裕がなくなるから優しく出来ない、と言って来ましたから。
 もうすぐ13歳の今となっては、疑問に思う事もあります。何故なら、私から見て奔放に見えるお子さんが、娘よりも幸せに見えることが、ままあるからです。或いは、楽に・・でしょうか。
 だけど、強い心の基盤を持っている娘は、ヨーロッパに暮らす今も肌の色を気にかけている節など全くありません。
 自分なりにやって行ける自信があるかのように見えます。
 どんなに力を尽くしてもわかってくれない人たちがあるのも事実です。だけど、jujubeさんと奥様の愛情をもってすれば、お嬢さんは、きっとしっかりとした素敵な女性に成長される事と思います。

自分にも言い聞かせながら・・。

村上さん、
アドバイスありがとうございます。
娘には、友達をたくさん作って欲しいと思います。

ネコ@Be (^-^ ) ニコッさん、
わたしも、インターナショナルスクールや他国での教育も(いざという時のことを考えて)視野に入れています。
でも、できるなら今はまず、自分の日本人の部分の核をしっかりと自分の中に育んで欲しいと思います。
もちろん、マリ人としての誇りも持ちながらですが。
夫婦で協力して、娘の成長を愛情で包んで支えていきたいと思います。

おふたりのアドバイス、本当にありがとうございました。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2003年4月30日 23:01に書いたブログ記事です。

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