日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

ただ生きていることのしあわせ

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あるメーリングリストで、明治生命の「あなたに会えて」というCMを教えてもらいました。

この blog を書きながら私が探しているものがそこにありました。

ただ生きていることのしあわせです。
サヘルでは、いつもそれが身近にありました。
しかし日本で暮らしていると、いつの間にかそれが見えなくなっています。
妻も娘もすぐそばにいるのに。

CMを見て、幸せや人生の価値は、金や名誉や生きた時間の長さで決まるものではない、改めてそう思いました。
何のために働いているのか、何のために生きているのか、妻や娘に今日一日、明日一日、何ができるのか。
考えることを忘れている自分がいます。
私は、日本にいるとなぜ目の前にある幸せが見えなくなってしまうのでしょうか。

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コメント(5)

こんにちは(^-^)

日本にいると目の前にある幸せが見えなくなってしまうのは、幸せだから。じゃないかなぁ・・・と私思います。そういうことを考えることが出来る人は、素敵な心がある人だと思います。

足りないものがあると、あとで満たされたとき、幸福を感じますが、人間はただ、慣れていく生き物だと聞いたことがあるのです。

私にとっての幸せは、自分に対して人間としての健康的な誇りを持つことが出来て、死ぬまで生きることです。

そして、人を愛する感情があって、愛する人が側にいて、鏡のように、私に愛を返してくれることを感謝できる気持ちがあることです。そうすると生きてて良かったと思います。(^-^)

何度もすみません(^^;

ちなみに、私が前述のように思うのは、いつも自分に足りない部分を感じているからです。そして、時々満たされたと感じるからです。その繰り返しの中で幸せを感じるのではないかと思いました。

日常生活をしていると、やらなきゃいけないことに追われて、やはり幸せについて考えたり、感じる時間が、少なくなってしまうのかもしれないですね。ゆとりの問題なのかなぁ・・・
うまく書き込み出来なくて、ごめんなさい(^^;

ベランダに植えた花は、ちょっとでも管理しないとすぐに枯れてしまう。草原や道ばたの草なんかは、風に吹かれて倒されても、すぐに伸びてきます。大地の恵みから離れすぎたのは、生き物のなかで人間だけじゃないでしょう。先進国は特に自然を排除する傾向がありますね。なんでも管理、管理、管理。でも、日曜日子どもに約束したピクニックは、雨だけで中止せざるを得ませんね。屋根付きのショッピングモールに行けば解決するとか、そういう問題じゃないですよね。日本の閉塞感は、「サヘルの風」が吹かないからじゃないでしょうか。(笑)

桃李さん

> 日本にいると目の前にある幸せが見えなくなってしまうのは、幸せだから。

サヘルにいると幸せな時にしっかりそれが感じられるんですよ。
考えてみたんですが、サヘルでは生と死が日常として存在し、人の幸・不幸がとても身近にあるからかもしれません。
天空にある月は小さく、地平線にある月が大きく見えるようなものではないかと。

Ken Looさん

日本の暮らしは、自然との関係だけでなく、人間関係も希薄なのかもしれません。
日本にいると、仕事を離れた友人との時間が本当に少ないです。
子供たちの世代では、友人たちと過ごす時間が増えるようにしてあげたいと思います。
それから、日本にもバカンスが導入されるといいなあ。
家族や友人とじっくり過ごせますから。

人は愛し愛されるために生まれてきたのだと思う。

では、人は何のために生きているのか。
答えは一つではないと思う。
私達がおじいさんやおばあさんになって、『私の人生良かった』『生まれてきて幸せだった』とおもって息をひきとっていくため…ではないでしょうか。

だから私たちは『幸せを求める』のです。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2003年6月10日 22:59に書いたブログ記事です。

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