日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

時間がない

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いくら忙しくても、本当にそれを実行したいと思うのなら、どうにかしてその時間を作り出すことは可能なのだ。誰にも平等な時間は同じだけある。人によって多いとか少ないとかはない。自分で組み立てることが可能なのだ。重要なのは、大事なものから順番に時間を取っていくということなのかもしれない。

引用元:引用元:Going My Way: 「時間がない」の本当の意味

子供の時は、何でもできる気がしていました。
でも大人になって、できることとできないことがあるということ、そしてできること、やりたいこともぜんぶ一緒にはできないから、優先順位をつけないといけないと学びました。

先に書かれことには、まったくその通りと頷きました。

でも、納得しつつも、あれ?という思いがあります。
サヘルの暮らしの方が、日本よりやりたいことがたくさんできていた気がすることです。

本当にやりたいことには時間は捻出できる。
それはその通りですが、サヘルと日本の暮らしを比べてみると、ひとりの人間にとっても、やりたいことに費やせる時間は環境によってぜんぜん違うことがわかりました。
つまり、

誰にも平等な時間は同じだけある。人によって多いとか少ないとかはない。

というわけではないようです。
だれも1日は24時間しか持っていません。
けれども仕事によって、あるいはライフスタイルによって、やりたいことをするために使える「ゆとり」の質と量ははまったく違います。
やりたいことのプライオリティを決めるだけでなく、もっと根本的に、やりたいことをするためのゆとりをどうやって増やすかということも考えてみようと思いました。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2003年10月 7日 23:55に書いたブログ記事です。

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