今日、Lost in Translationという映画を見た。Bill Murray扮するアメリカの有名俳優が日本にコマーシャルの撮影に行って、異文化の孤独の中で人生の意味を考える、というもの。
私は、サヘルにいて孤独感とかホームシックを感じたことはありません。
けれども日本人の私が、日本にいて孤独感を感じることがしばしばあります。
日本に戻って、日常生活の中で今も気になっているのは、言葉によるコミュニケーションの少なさです。
近所を散歩をしていて出会った人に挨拶してもはっきり返事がない。
娘と一緒に分団で登校する子供たちに「おはよう!」と声をかけてもひとことも返ってこない。
ちょっとぶつかったりして「すみません」といっても無視される。
本屋で、後ろから来る人にドアを開けて待っていても、なにも言わずに通り過ぎていく。
サヘルでもフランスでもそんなことは決してなかったので、こういう出来事にショックすら感じています。
サヘルでは、まず挨拶ありきでした。
挨拶しないと村八分にさえなりかねません。
また、時間があると、誰かと、リラックスして、話をしていました。
話しかけたい時には、いつでも話し相手がいました。
ひとりでいたい時さえも、ひとりでいられないくらいですが・・・
フランスでは、友人になるにはひとつ壁を越える必要がある気がしました。
けれど、いったんその壁を越えてしまうと、とても親しい友人を得ることができました。
友人・知人との会話でなくても、日常生活の中、道ですれ違う見ず知らずの人との挨拶、店先で会話に、シンプルだけれどもはっきりと他人とのコミュニケーションがありました。
私にとっては、異文化の中にいることが孤独を感じさせる原因ではないようです。
それが古くからの日本の文化なのかどうか私にはわかりませんが、少なくとも現代の日本の都会の暮らしは、孤独を感じさせやすいものだと思います。
日本では、コミュニケーションがどんどん少なくなっている気がします。
仕事や生活に関係するコミュニティで「必要」がない人とわざわざ話をするのは面倒なのでしょうか、たんにそういうコミュニケーションに慣れていないからなのでしょうか。
"Lost in Translation" の主人公の気持ちの動きは、日本人の私が日本で感じている違和感と通じるところがある気がします。
日本で上映される時にはぜひ見に行こうと思います。
Trackbackありがとうございました。
実は私も「日本って孤独だよなぁ」と思っていたところです。日本で生まれ育った私でも。なんでだろう、とちょっと考えていたところでした。。。。。逆説的ですが「人口密度が高すぎるから」ではないか、という気もします。自然が少ないから、ということもあるかも。例えば大自然の中で一人でも、心がすさむような孤独ってあまり感じないですよね。。。。なんでなんでしょ。
私も、お二人と同じように感じることがあります。
私は『公的セクターの必要以上のケアーと食生活の量的な豊かさによって孤独でも最低限の生活が出来る』ということから、周りの人は自分が必要なときだけ関わってくれたら良いと考える人が多いからではないでしょうか?
しかし表現は下手でも困っている人を助けるという当たり前の事が出来る日本人はまだまだ多いと思います。