日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

国際結婚への偏見

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こうした行為は、教諭が家庭訪問で、児童の曽祖父(そうそふ)が米国人だと知った翌日から始まっており、暴力以外にも「血が汚れている」などと差別的な発言を何度もしていた。

 児童は現在も「自分の血が汚れている」と思いこまされたままで、PTSDの症状があり、医師の判断で9月上旬から登校を控えているとしている。
教諭は6月に学級担任を外され、8月に市教委から停職6カ月の処分を受けた。しかし、その後も児童を中傷する虚偽の電話を同級生宅にかけるなどの行為を続けていたという。

引用元:asahi.com : 社会 教諭のいじめでPTSDに 福岡の小4男児と両親が提訴

このニュースは昨日も流れていました。
その時は、どうして「おまえの血は汚れている」なんて教え子に言ったのだろうと不思議に思っていました。
しかし今朝、この教師のいじめは、生徒のひいおじいちゃんがアメリカ人だと知った翌日から始まったと知りました。
国際結婚をして、子供を持つ親として怒りが収まりません。

この事件から、ステレオタイプに日本の学校・教師を見るつもりはありません。
しかし同じような第二、第三の事件がないとは決して言えません。
こんな教師が存在するという現状、またその処分が僅か6か月の停職処分で終わってしまったと聞くと、教師の社会意識を踏まえたその資格取得制度、このような認識を持つ教師に対する教育委員会の処罰について再検討して欲しいと思います。
もちろんそういう意識を持ってくださる弁護士のみなさんがいらっしゃるからこそ、今回の裁判となったわけですが、その結果がこの教師に対する厳正な処分だけでなく、日本における国際結婚やその結婚によって生まれた子供たちへの教師そして社会の認識の変革につながって欲しいと願います。

前にサヘルの風: ハーフ、ミックス、ダブルで、娘の「私は外国人」という発言に対して、「日本人の父、マリ人の母、あなたは両方もらっているんだよ」と話し、娘のアイデンティティーをダブル的な気持ちで見ていると書きました。

しかし、娘にも他人にも娘を「ダブル」(あるいは別の言葉でも同じですが)という「ラベル」を貼って説明したいとは思いません。
「ラベル」を貼ってしまうと、それがその人に対するステレオタイプな見方を作ってしまうからです。

娘はたったひとりの娘です。
何ものとも違うひとつの人格を持った存在です。
その中に、たんに国際結婚した両親がいるという環境が含まれているだけです。

たまたまパパは日本人だった。
たまたまママはマリ人だった。
それだけです。
私は、娘にそう教え、それは決して恥ずべきことではないと繰り返し話していきたいと思います。

この事件から、サヘルの状況についても考えてみました。
いろいろな民族が存在し、昔からその間で婚姻が行われてきたサヘルでは、民族の異なる両親を持つ子供は普通の存在です。
それでも、宗教、民族間、あるいは社会階層による優劣意識はやはり存在し、それによる批判はしばしば耳にします。
例えば、キリスト教徒の男性とイスラム教徒の女性の結婚、鍛冶階層の男性と貴族階層の女性の結婚などへの批難です。
しかし、少なくともサヘル北部の私が暮らした地域では、それはあくまで結婚した当事者の判断に向けられるもので、その子供に対するものではありませんでした(その子供がどのコミュニティに属するかはまた別の問題になります)。

私たち夫婦の場合は、マリでは誰からもその結婚を暖かく祝ってもらえました。
そのことで、息子と暮らしたマリ、セネガル、ブルキナファソで息子がいじめられたことはありません。
今マリで勉強を続けている息子が、私たち両親の国籍、民族で悩むようなことはありません。
このことは、今回の事件のように日本で暮らす娘に対して心配が絶えないことに比べれば、本当にありがたいことだと思っています。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2003年10月10日 08:51に書いたブログ記事です。

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