日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

ごめんなさい

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今日は娘のピアノの発表会でした。
ピアノを初めて1年あまり、娘にとっては初めて人前でピアノを弾く機会でした。
9月から一生懸命練習していました。
ここひと月は、朝起きると学校に行く前にちょっと練習。
下校するとまず練習。
そして寝る前にもう一度練習していました。
その努力を褒めてあげたいと、発表会が終わったらプレイランドで大好きな「太鼓の達人」のPS2版を買ってあげると約束していました(こういう対価を約束するのがいいのかどうかわかりませんが)。

発表会が無事に終わり、約束通り「太鼓の達人」を買いに行きました。
買いに行って初めて値段を知りましたが、、PS2+「太鼓の達人、タタコンでドドンがドン」(専用コントローラーとソフト)で3万5千円もするんですね!
値段を聞いてやめようかと悩みましたが、約束したことであり、娘のリズム感が養えるし、妻も(私も)娘と一緒に遊べるゲームだし、DVDも見れるし・・・と自分を納得させて、妻と私の折半でのプレゼントとしました。

ところが、ゲームを買って帰る途中、同じアーケード内の書店に寄っている間に娘がどこかに行ってしまいました。
妻とふたりであちこち探しました。
しばらく探した後、おもちゃ売り場の「太鼓の達人」のデモコーナーで遊んでいる娘を見つけました。

そこで娘を厳しく叱りました。
1.黙っていなくなるのはよくない
・どこにいなくなって私たちが心配するでしょう
・それにもまして、誰かにつれていかれたら、自分が怖い目にあうんだよ
・だから、どこかに行くときは、私たちに必ずひとこと知らせて許可を得てからにしなさい
2.おもちゃ売り場に戻ったこともよくない
・「太鼓の達人」は買ってあげたところだ
・家に帰るまで少し我慢すれば、いくらでも遊べる
・だからおもちゃ売り場のデモコーナーに戻ったのは間違っている
・このゲームがない子を待たせてまでデモゲームをするのは優しくない
そういうことがわからないなら、買ったゲームも返そうと思う。

妻と合流すると、再び妻からも1番目の問題を指摘されていました。
娘は自分のミスを理解したようでした。
私と妻の指摘に娘は小さな声で頷きました。

しかし、私はすっきりしませんでした。
返事の声が小さいことと、「ごめんなさい」の言葉がないことをさらに責め、謝罪の言葉を言わせました。
私はそれから家に帰るまでずっと憮然としていました。

家に帰ると妻から
「問題を理解し、反省し、謝罪したのに、なぜ受け入れてあげないのか?」
と問われました。
そこで娘と向かい合い、
「何が悪かったかわかったよね?」
ともう一度訊ねました。
泣きながら
「はい、ごめんなさい」
と答える娘を胸に迎えてぎゅっと抱きしめました。
反省しながら。

頭では、娘が問題を理解し反省すればそれでいいと思っています。
しかし私はその上に「ごめんなさい」という言葉を求めていました。

日本で暮らす上では、人間関係において謝罪の言葉が問題への実質的な対応以上に大切なことが多々あります。
謝罪は日本では大切なことです。
しかし、娘がこれから大きくなり、いろいろな問題にぶつかっていくであろうことを考えると、対人関係に配慮するよりも問題に正面から取り組む姿勢を持って欲しいと願っています。
そんな姿勢を持たせるためには、口から発せられる決まり文句にとらわれず、娘の気持ちや姿勢をしっかりと汲み取ってあげるべきだと思いました。

もしかするとこういう育て方は、日本という社会には合わないかもしれません。
しかし、私は問題に正面から向かい合うように娘を育てたいと思います。
だからこそ、今回の自分の対応は失敗だったと深く反省しました。

しばらくの間、寝る前に読んであげるお話をひとつからふたつにすることにしました。
娘への言葉でない償いとして。

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アッサラーム アライクム

はじめまして。
我が家でもこの「謝罪」は問題です。パキスタン人の主人と二人の子、それに私が私の父(ムスリムではない)の元で居候しております。ここで二つの問題が。

1.父に対して
どうもパキスタンでも反省の色さえあれば「謝罪の言葉」はとやかく言われません。だから子供達を叱っても「分かった?」と聞いてうん、とうなずけばそれでおしまい。取り返しのないミスをしない限り子供達も自主的には「ごめんなさい」を言わなくても問題なし。でも、やはり日本では、というかそういうパキスタン的ところを知らない人、あるいは「日本社会で日本人と共存するためには」、自分に負があったと認める時には「ごめんなさい」をいうべき、と父(子供達にとっては祖父)に対して「ごめんなさい」を言わせています。自分の中で負を認めても、日本人(子供達も半分日本人だけど・・・)には謝罪なしでは無礼者でしかないなぁ、と思い・・・

2.姉弟間で・・・
息子(弟)が小さい時、娘(姉)に対しての不慮の過失(知らずに足を踏んだ、とか)の際に「ごめんね」が言えず、毎度私が「ごめんねは?」と言って「ごめんね(パキスタン語では『許して』と言う」を言わせていました。少し経つと娘が「そんな人に言われて言うごめんねで許せるわけがない!」と怒り出し、毎回「許して」「許さない、許されるわけがない!」の連続・・・そういう娘も息子に不慮の過失で謝罪していないのに・・・と思うのですが。とにかく今では息子もどんなに娘(姉)に謝っても許してもらえないんだから、という気持ちがあるのか、それとも両親(私達夫婦)が謝罪の言葉を求めないのに何故姉はそれを求めるのか、という気持ちなのか・・・?
とにかく一人っ子の私にとってこの二人の確執は不思議でならないのです。普通はとても仲が良いのですが・・・

シンショーヴナさん、ワレイクムッサラーム

日本で暮らす上で、やっぱりこれは問題になりがちですよね。
でも娘には、口先だけの「ごめんなさい」じゃなく、心からの反省と謝罪を求めていきたいと思います。

ただし、ぶつかったりしたときなどの「ごめんなさい」のひとことは、必ず言うように躾けています。
それから、挨拶と他人からのサービスに対する「ありがとう」の言葉はしっかり言わせています。
矛盾していますかねえ。

よいラマダーンをお過ごしください。

こんにちは、ゴールド@ボーケンスドルフです。ドメイン変わったんですね。
さて「ごめんなさい」と言うのは問題と正面から取り組むという姿勢と関係があるのかどうか、ですが、私はむしろ逆なのが日本ではないかと思います。海外に出た日本企業が現地採用の現地国の人に「ごめんなさい」の一言をどーーーしても言わせたいというのは共通の現象のようで、ドイツでもここ上海でも日本人駐在員の話題といったら「彼らはごめんなさいの一言が無い」という不満がよく出ます。一方、日本では上司から「お客様に謝りなさい!」と言われるとすぐに「申し訳ありませんでした」と心にも無い言葉をすぐに言います。

「ごめんなさい」は日本社会で生きるために必要な潤滑剤の言葉であって、それは日本文化のひとつの特徴ではないでしょうか。外国では同じ意味の言葉は無い、というのが私の感想です。これは子どもを教育するときにどうしたらいいか悩むことのひとつです。(ドイツ語には同じ意味の言葉がありません。中国語のデブチは謝罪の意味は薄いです。日本語の時はごめんなさいと言えと教えても、しかし他の国の言葉だとどうするのか・・・ドイツでは謝ったら責任をとらないといけません。日本語だとあやまったらすべて終わりで許されます。)

ちなみに私は家内(ドイツ人)が人に謝るのを見た事がありません。家族を守るためには他人に絶対謝らない=悪いのはいつも他人という思想が見えます。文化の違いは本当に苦しいです。

私はどうしても『ごめんなさい』が目下の者に言う言葉に思えます。『…なさい』はやはり命令形に思うのです。「許せよ」と。ちょっとぶつかった時や軽いミスをした目下の者に、「あ、ごめんなさい」と言われても少々ムッとしてしまいます。その言い方にもよると思いますが、丁寧に「申し訳ございませんでした」と言われた方がずっと許す気になれるんですが…。皆さんはどうですか?

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2003年11月 8日 22:33に書いたブログ記事です。

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