日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

過去を見つめ、明日につなげたい

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ラクダの旅から日本に戻った後、その旅を本にしては、というお話をいただきました。
しかし、遊牧民に問われた「旅の価値」をまだ自問自答していた時期でしたから、あれはあくまで自分の夢の実現のためのものだったことにこだわりたいとおもいました。
自分の「夢」を宣伝したり、それで報酬をもらうことに抵抗がありました。
また、日本の生活へのカルチャーショック、なにより砂漠について話しても「ふつうの日本人」とはまったく話が合わないことに愕然とし、砂漠の旅についてはあまり話をしなくなりました。

しかし、時がたつにつれ、一度人生が終わったようにさえ感じたあの旅の終わりも、ひとつの夢を終えたにすぎない(もちろんそれはとても大きな夢でしたが)と思えるようになってきました。
そして砂漠の女性と結婚し、仕事を持ち、こどもを持つに至り、過去に迷わず、それを恥じず話せるようになってきました。

今は、砂漠の旅を自分の青春の足跡として、見てきたこと、為してきたことを、考えたことを、こどもたちに少しずつ話し、そこから父親の人生を知ってもらいたいと思っています。
もし私が事故や病気で急死しても、こどもたちがこのブログを読めば、父親はこんなことを考えたり感じている人だったのか、少しは理解してもらえるでしょう(笑)。

また、かつては、日本でサハラやサヘルの話を理解してもらうのは無理ではないかと感じていましたが、価値観が多様化し(それがアイデンティティーやコミュニティーの不安定さも生んでいますが)、アフリカも少し身近になってきて、話に耳を傾けてくれる人やサヘルで暮らした体験を持つ人も増えてきました。
だからこそ、こういう場を作り、自分の過去も含め、サハラ・サヘル、西アフリカのことやそれとつながる日本のことを話し、コメントをいただき、西アフリカつながりの緩やかなコミュニティーを持ちたいと思っています。
日本にいて自分の立つ位置が不安なのはいまだに変わりませんから、こういう場が自分の支えでもあります。

このサイト、とくに3つのブログは、読んでくださる方たちへの心を込めた情報と気持ちのアウトプットです。
しかし同時に、yamamoto さんやみなさんからいただくコメントで、わたしは日本で暮らす元気をインプットしていただいています。

過去を語ることに今はもう辛さはありません。
むしろ、ここで語ることは、明日につながるきっかけになると思っています。
yamamoto さん、みなさん、これからも感想や質問を気軽に書き込んでください。

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コメント(7)

私も何度か「留学の話を本にしませんか」とか「ベドウィンとの話を書きませんか」といった誘いを受けたことがあります。

そういったことに対して、私はまだ書こうという気にはなれません。ツライとかではなく、自分がまだまだ道の途中にいる気がするからです。振り返るのはもっともっと後でいいと思っています。

ですので、サイトの日記も適度な量になると古いものから削除しています。この場から発信する以上は、”今”を伝えたいという気持ちが強いですね。

ただ、いつか、もう少し時間が経ったら、何かまとめようと思ってはいます。ただ、口下手なので、好きな写真で伝えられたなぁと思っています。

気を使わせてすいませんm(_ _)m
とても興味を持って記事を読ませてもらっています。
イラク戦争に加担した日本の責任は非常に重いツケとなってわれわれ日本国民に降りかかってきそうですね。何時アメリカの後ろを離れ国際社会の一員として歩いて行ける様になることやら?と思います。
かなり深く北アフリカ諸国でくらされたようですが帰国したさいに違和感を感じませんでした?
微々たる私の経験の中でアフリカから帰ってきたときに感じた違和感は今も忘れる事ができません。
①帰国すると携帯電話が劇的に普及していて、道を歩いているときに声をかけられたと思って返事をしたらその人は携帯電話で話していました。恥ずかしかったです。
②人の多さに気分が悪くなりました。特に満員電車は生理的に受け付けなくなりました。どうしても乗らないといけない時以外は満員電車には乗りません。
③理解したくないのに耳に入ってくる日本語の数々。思考を並列処理する事がなかったので今でも物事は一つ一つ片付けるクセがつきました。

jujubeさんは如何でしたか?

TAKE C さん、

> サイトの日記も適度な量になると古いものから削除しています。
> この場から発信する以上は、”今”を伝えたいという気持ちが強いですね。

わたしは人の数分の1ほどしか記憶容量がないようで、たくさんのことを覚えておけません(汗)
ですから、フィールドノートやパソコンのデータは大事な、脳みその代わりです。
特にパソコン内のデータは、過去のことを簡単に検索できるのでとても重宝します。
テキストだけでなくキーワードをつけたデジタルな画像データも記録であり記憶の補助装置です。
ラクダを引いて歩いた、忘れるはずがないと思っていた砂漠の地名やルートも20年もたつと曖昧になります。
そんなとき、過去の記録が役に立ちます。

どんな知識が後になって必要になるかわかりません。
TAKE C さんが書かれたこと、たとえパブリックの場から消しても自分のパソコン上には残しておいてください。
それは TAKE C さんにとってだけでなく、これからあなたに続く人にとっての貴重な資料になるでしょう。

TAKE C さんがいつかそこでの暮らしをまとめらた時には、ぜひ教えてくださいね。

yamamoto さん、またネタをいただきありがとうございます!(笑)
というわけで、別の書き込みにしました。
感謝

私の場合はCPUが1世代ほど古いようで(汗 複数の仕事の並行処理ができません(笑

日記は、まずPC上で書いてから、それをサイトにコピーしていますので、ログは手元に残っています。ブログも時折バックアップを取っています。

惜しいのは、留学の前後とか、ベドウィンと出会った直後や、ドーハに引っ越す直前、の日記がないことです。書いていないんです。いずれも気持ちに余裕のなかった時期で、かつ「自分のため」にしか書いていなかったので、書きたくない日は書かなかったんですね。

今は色んな方々の反応が見れて、読んでもらっているという実感があり、多少しんどい時でも書いておこうと思えるようになりました。

まとめるのはいつの話か分かりませんが、そのときは必ず報告しますね。

このエントリーの記述も、同感ですよ。

僕なんか、四半世紀前の旅を、ようやく、「今」書き始めたところです。

himalaya さん、

さすがはプロ。写真に見入ってしまいます。
初めて山に行き出会われた頃のこどもたちは、もうずいぶんおおきくなりましたでしょう?

80年代の初めにわたしが砂漠で肩車して遊んでいたこどもたちが、今や自分のこどもを持つ世代になりました。
むちゃくちゃなことをして(若気の至り)遊び回った同世代の西アフリカの友人たちが、いまや大臣や官房長官になったり・・・

時代は次の世代に移りつつある気がします。
だからこそ、自分のこと語れる気になったのかもしれません。

でもまだまだやりたいことはたくさんあります!

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2003年12月 7日 18:53に書いたブログ記事です。

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