日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

日本でのカルチャーショック

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昨日書いた過去を見つめ、明日につなげたいにいただいた yamamoto さんのコメントへのお返事です。

かなり深く北アフリカ諸国でくらされたようですが帰国したさいに違和感を感じませんでした?
微々たる私の経験の中でアフリカから帰ってきたときに感じた違和感は今も忘れる事ができません。
(1)帰国すると携帯電話が劇的に普及していて、道を歩いているときに声をかけられたと思って返事をしたらその人は携帯電話で話していました。恥ずかしかったです。
(2)人の多さに気分が悪くなりました。特に満員電車は生理的に受け付けなくなりました。どうしても乗らないといけない時以外は満員電車には乗りません。
(3)理解したくないのに耳に入ってくる日本語の数々。思考を並列処理する事がなかったので今でも物事は一つ一つ片付けるクセがつきました。

jujubeさんは如何でしたか?

引用元:MALI&DESERT BLOG: 過去を見つめ、明日につなげたい


帰国した際どころか、今でも違和感がなくなりません。
とくに次の3点がいまだにひっかかっています。

A.挨拶が(少)ない

日本は何でこんなに挨拶が少ないんでしょう。
しゃべると損すると思っているんでしょうか。
娘の集団登校の集合場所を毎朝通るので、こどもたちに挨拶するんですがまともな返事がない(危ないおじさんと思っているのか、みんな眠いのか)。
出張先のホテルなどでエレベーターで他の客に「おはようございます」「こんばんは」などと挨拶しても返事がないことがある。
犬の散歩の途中で会う近所の人でも挨拶がない人がいます。
無言で頷くだけの人は、挨拶したというのかな。
うーむ。

B.日常生活のありがとう・すみませんが(少)ない

歩いていてふと肩がさわった時、「すみません」がない。
後ろから来る人にドアを開けて待っていた時、「ありがとう」がない。
道を譲った時、「どうも」の一言もない。
こんなことがよくあります。
こちらから「すみません」「ありがとう」「どうも」といっても返事がない。

妻の骨折した指の治療に付き添った時、医師に
「おはようございます。お願いします」
といっても無言でカルテを見てました。
3度同じ言葉を繰り返してしまいました。

C.仕事と家庭のバランス

休日出勤も残業も、必要であればもちろんやりますが、やはり程度を考えたいと思います。
家族と自分の暮らしのために働いているわけですよね。
それから、仕事が終わっても同僚とそのままいつまでもしゃべっていたり、毎日「おつきあい」があるも慣れません。
毎週土日2日休みでなくても良いので(実際そうじゃない:涙)、1年かせめて2年に一回くらい2週間ほどの休みを取りたいです。
まだ義父が死んでから一度も、妻と一緒に義父のふるさとに行く時間がとれていません。
サヘルの暮らしや感覚を忘れないためにも、数年に1回で良いから長いバカンスを取りたいです。

それからこれは私の特殊事情ですが、日本でムスリムとして暮らすことの居心地の悪さがあります。
特に食事と冠婚葬祭の決まり事の違いなどで苦労があります。

ラマダーン(断食の月)の断食も家族だけでしていると全然味気ない・・・

(1) 帰国すると携帯電話が劇的に普及していて・・・

1986年に戻った時にはワープロの普及に驚きました。
1982年末に卒論を書いた時にワープロがあればどれほど楽だったか。
それ以後も日本に戻るたびに、パソコン、ポケベル、携帯、ルーズソックス、ガングロ(実はこれは噂だけで見ていない)などなど・・・成田から東京へ向かう電車の中で毎回驚くことがありました。

(2) 人の多さに気分が悪くなりました。特に満員電車は生理的に受け付けなくなりました。

私も、通勤時間帯のJR渋谷駅構内の階段で、電車に乗り込む人の波に圧倒されて、階段が上れなかったことがあります。
サヘルで乗り合いタクシーやミニバスでぎゅうぎゅう詰めにされて「うひゃあ、すごいなあ。ここまで押し込むか!」と驚いたのですが、その後東京の満員電車に一度乗ったら、押されすぎて足が宙に浮きかけました。
「こっちの方がよっぽど非人間的だ」とつくづく思いました。

(3) 思考を並列処理する事がなかったので今でも物事は一つ一つ片付けるクセがつきました。

そうなんですよね。
サヘルでは時間がたっぷりあるし、(日本人の感覚からいうと)みんな時間を守らないので、予定通り物事が進みません。
そこで、何かを確実に処理するためには、それを「自分で」「つきっきり」でやることが多くなり、必然的に、ひとつひとつ仕事を片づけていくとになります。
でも、その処理事項の相手がひとつのことだけをやっているかというと、そんなことはないんですよね。
いろいろなことをとても中途半端に、同時並行的にやっている。
だから、ひとつも終わらなかったりするんですが・・・

これについて、以前にも引用しましたが、ポリクロニックな時間とモノクロニックな時間という面白い説明があります。
ぜひ一度読んでみてください。

荒っぽくまとめると以下のような話しです。
・日本や欧米は、リニアな行動でスケジュール重視する(モノクロニックタイム)。
・一方で、スケジュールより人間関係が重視され、時間を重視せずそれを点として捉える社会がある(ポリクロニックタイム)。
・このふたつはかみ合わない。

モノクロニック対ポリクロニックという対比は疑問に思いますが、一方がスケジュールが重要で物事をリニアに捉え、他方はスケジュールより人間関係が重要で時間は点としてとらえている、というのはなるほどと思う説明でした。

この説に則って考えると、モノクロニックタイムの人間がポリクロニックタイムの社会で「きちんと」物事を処理しようとすると、ひとつだけ選択してそれをゆっくり確実に処理していくことになってしまうんでしょうね。

(2004.3.9追記)
上のAやBの私と同じ感覚を、なるぱらさんも、N@N: スポーツを通した人格形成って、今はないの?(がっかり)で、感じられたんだろうなあと思いました。

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「サヘルの風」というblogの記事を読んで、なんだか、来年と言うか人生の過ごし方についていろいろ考えてしまったよ。日本の中で、建築業界… 続きを読む

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2003年12月 8日 00:11に書いたブログ記事です。

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