日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

母なる国、自分であること

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昨日、娘が書いてくれた日本とマリの地図を見ながら考えました。

娘は、妻と私にそれぞれ、マリと日本の絵を描いてくれました。
・それは私たちが生まれた国だからだろうか?
・マリと日本を私たちがそれぞれ属する国と考えているからだろうか?

娘は、自分自身にはどこの国を書くのでしょうか?

生まれた国の言葉と文化を持つ私たち両親には、娘の立場や気持ちは完全には理解しきれないでしょう。

最近、生まれた国から離れた両親と移住先の文化の中で育ったこどもたちの物語(文学)にいくつか出会いました(それについてはまた別の機会に書きます)。
そこに描かれているのは
・「新しい」文化の中での両親の葛藤
・「古い」文化を引きずる両親と「新しい」文化の中で育ったこどものギャップ
・いずれの文化にも自分の属するところをみつけられないこどもの苦悩

状況は違いますが、娘も同じような悩みを持つのでしょう。
幼いながら今でさえ、自分のアイデンティティについて、素朴な疑問をふと私たち両親に問うことがあるのですから。

私たち両親はどこまでその苦悩を共有してあげられるかわかりません。
もちろん困ったときには、全力で支えてあげたいけれど、それは私たちが解決できる問題ではないでしょう。
娘自身が答えを見つけなくてはなりません。

私にできることは、私が、自分がどこに属するかということよりも自分らしくいられることをなにより大切にして生きてきたこと、その中で妻と出会い、家庭を持ち、幸せを感じていることを、私の暮らしぶりを通して娘に見せていくことだと、改めて思いました。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2004年1月 3日 22:53に書いたブログ記事です。

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