1月3日に「生まれた国から離れた両親と移住先の文化の中で育ったこどもたちの物語」について触れました。
そのひとつについて忘れないうちに書いておきます。
アフリカ関係のメーリングリストやいくつかの blog でも取り上げられていた映画「名もなきアフリカの地で」。
私は、妻と娘がマリに帰省している昨年の夏、名古屋での公開翌日の8月17日にアフリカにいる妻や娘を思いながらひとりで見に行きました。
西と東の違いはありますが、アフリカらしい空気が感じられる映画でした。
淡々と進むストーリーからは、派手な演出の多いUSA映画や、長いせりふ回しの多いフランス映画とずいぶん違うなあと感じました。
ナチスの迫害から離れ、なんとか新天地で生きていこうとする父親。ドイツの暮らしや家族の忘れられない母親。自然にアフリカの暮らしや文化を吸収していく娘。そんな3者がいろいろな出来事を通してその立場、考え方、関係を変化させていく様子を楽しんだ映画でした。
多くの観客はアフリカの自然と人々に育てられ大きくなっていく娘に共感を抱くのでしょう。もちろん私もそうでした。それを期待して見に行った映画でもありました。
しかしアフリカで自分の価値観を変えていく母親の変化にも魅了されました。
それはアフリカで多くのことを学んだ自分に重なるものでした。
ところで、この映画に不満もいくつかありました。
(以下はストーリーのネタバレがありますので、映画を見ておらずみたい方は読まない方がいいかも知れません)
まず、原作者シュテファニー・ツヴァイクの自伝小説ですから、当然彼女自身である娘の視点から描かれた映画かと思っていると(映画も彼女の独白からはじまりましたし)、娘には決して見えないストーリーがあったりしたのは戸惑いました(たとえば妻の浮気の話)。
それは映画を盛り上げるための演出だったのかもしれませんが、むしろもっとシンプルなストーリーの方がリアリティがあったかもしれないと思いました(でもそれでは収益性がなくなってしまうかもしれませんね)。
それからバッタの襲来。
私が NGO のスタッフとしてマリにいた1988年の雨期の後、マリやニジェールでサバクトビバッタの大きな被害がありました。
バッタがやってくる様は本当に黒い雲のようでした。
それはたった一度だけでなく、何度もやってきました。
砂漠に近いサヘルにはほとんど植物がありません。
ですから、畑のトウジンビエやコーリャンはバッタの格好の餌食でした。
人々は手に枝を持ち振り回したり、火を燃やし煙でバッタを追い払おうとしました。
バッタには何をしても無理だと天を仰ぐばかりの人もいました。
バッタの被害を防ごうとした人の畑は、何もしなかった人の畑に比べればわずかにましでしたが、被害は免れませんでした。
やってきたバッタは、食べられるものがある畑に着くとそこから動かず夜を越しました。
映画のように数時間で去ってはくれませんでした。
一月近い期間の中の何度かの波状攻撃の後バッタは去りました。
しかしバッタの爪痕はそれだけではありませんでした。
翌年の雨期後には羽のないバッタの幼虫が大量に発生し、その群れが絨毯のように移動し、再び作物に被害をもたらしました。
バッタの幼虫の大発生は、虫を食べる鳥や小動物を呼び、それは小型の肉食動物をもこの地域に招き入れました。
それらの動物たちも、餌の少ないこの地域ではやはり農作物に被害をもたらしました。
そんな様子を見てきた体験からは、映画の中のバッタを追い払う話は安直すぎる物語に見えました。
さて、映画を見られた方は、なにが心に残ったでしょうか。
私にとっては、アフリカの映画を見ながらも(もちろんアフリカの風景はとても楽しめましたが)、一番強く思ったことは、あの少女はドイツにもどって自分の居場所を見つけられたのだろうか、という疑問でした。
原作者のシュテファニー・ツヴァイクはこの映画の原作 "Nirgendwo in Afrika" の他に "Irgendwo in Deutschland"(ドイツのどこかで)という小説を書いています。
ドイツに戻った後の彼女の自伝小説であるこの物語こそが私の疑問の答えのようです。
彼女はドイツで仕事に就き、今もドイツに住んでいるようです。
この本が英語かフランス語か日本語に訳されたらぜひ読んでみたいと思っています。
そしてその中から、今の彼女にとってアフリカはどんな意味を持っているのか、アフリカへの望郷はないのか、という答えを見つけてみたいと思っています。
彼女のその答えは、きっと私の娘にとっても生きていく上でのヒントになる気がします。
もうひとつの「生まれた国から離れた両親と移住先の文化の中で育ったこどもたちの物語」についてここに書いておきます。
"Namesake"
(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0395927218/sahelnokaze-22The )
デビュー作「停電の夜に」 (http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4105900196/sahelnokaze-22)
でO・ヘンリー賞、PEN/ヘミングウェイ賞、ピューリッツァー賞などを獲得した女性作家ジュンパ=ラヒリ(彼女の両親もインドからの移民)の初の長編小説です。
インドからUSAに移住した両親と USA で生まれ育った息子の物語です。
こんばんは、今日やっとこの映画を見終わりました。ドイツ語だったので躊躇われたのですがなんとか最後まで飽きることなく見れました。懐かしく思い出した言葉は「ムズング」これは色が白いという事で白人だけでなく私も言われた覚えがあります。スワヒリ語だと思うのですが私の居たザンビアのベンバ語にも同じ言葉があると再認識して望郷の思いに駆られました。印象に残ったというか憤りを覚えてしまいなんでだろう?と自問自答したのは木下で死を待っている女性の姿に主人公?の母親が家に連れて行きなさいと命令したとこです。主人公の母親の死についての価値観がその後どうなったのか?作者に教えて欲しいと思いました。今時間とお金があるならば、もう一度ザンビアへ帰ってみたいと思いました。