日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

日常の一部としての砂漠

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2002年、マリの北部で夏休み過ごす娘夕食の時、こんな話になった。
私「じゃあ、夏休みとか、ずっとマリの(遊牧民の)キャンプで過ごしても平気?」
娘「うん」
私「テレビなくてもいいの?」
娘「うん。いいよ」
妻「友だちと遊べない時にテレビを見ているだけで、本当は友だちと一緒に遊ぶ方が好きなのよ」
娘「マリに行くとおにいちゃんもいるしね」

2003年、マリの北部で夏休みを過ごす娘昨年、娘が夏休みの大半を過ごしたサヘル北部の村には、電気(娘にとってそれはテレビ、パソコン、クーラー、冷蔵庫だろうか)も、ひねれば好きなだけ水の出てくるシャワーもなかった。
しかしそれはたいしたことではなかったようだ。
娘にとっては、大好きなおにいちゃんやたくさんの友だちと一日中遊べることがずっと重要なのだ。

「アッシャーフィア(9才年上のいとこの男の子)とボックス(ボクシング)したの。楽しかった。私ばっかり勝ったのよ」
「ドリアン(トゥアレグの子供の言葉遊び)も覚えたし」

2003年、友だちと遊ぶ娘娘の中には、砂漠の暮らしも、日本と同じようなありふれたものとしてあるように感じられた
娘が、かまえずに砂漠の暮らしに入れることが嬉しかった。
"Je suis fie`re de ma fille."「嬉しいよ(誇りに思うよ)。」

「でもバマコも大好き。おにいちゃんとプールで遊べるし、遊園地があるもの!」
これから年齢を重ねていっても、サヘルのいろいろな暮らしをありふれた日常として感じ続けていってほしい。

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コメント(2)

わたしはニューヨークに住んでいますが、日本を離れてみて日本に対して思うことはたくさんあります。でも、アメリカはやはり物質的に豊かなので、サハラの暮らしとは想像も出来ないものです。そう言うところで暮らしてみると、無駄な物に縛られている自分が見えてくるんだろうな・・・と思います。(アメリカに住んでみてすら、思いましたから。)

リンク、ありがとうございました。また、来ます。

RING登録ありがとうございます。
なのですが、MAPへのマーキングはお済みですか?
バージョンが「2」になっておりますので、再登録が必要です。
探してみたのですが、見当たりませんで・・・
よろしくお願いします。
(BBSが見当たりませんでしたので、こちらに失礼しました。削除していただいて結構です。)

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このページは、Yoshinori FUKUIが2004年3月 6日 21:41に書いたブログ記事です。

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