日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

青年海外協力隊のおふたりの結婚

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結婚式私がブルキナファソで青年海外協力隊 (JOCV) の調整員をしていた時に隊員だったおふたりの結婚式に出席させていただきました。
ご結婚おめでとうございます。

ブルキナファソでの JOCV の隊員派遣は2000年4月から始まりました。初代隊員は3名でした。
結婚されたおふたりは、2000年7月派遣の2代目3人のうちのふたりでした。
この国でのJOCVの活動が始まったばかりで、日本とブルキナファソ両国の強い期待から強いプレッシャーもあったことでしょう。言葉、考え方、暮らし、自然、すべたが違う中での仕事で、いろいろな問題があったことでしょう。
しかし2年間の仕事と暮らしを通して、自分の気持ちや行動をどうブルキナファソの人たちに伝えるのか、自分と異なる価値観や行動にどう対応するか、おふたりは協力し、学び合って成果を挙げられました。
ブルキナファソでの経験は、夫婦という、生まれた育った環境や人格の違うふたりの人間が、ひとつ屋根の下に暮らしすばらしい家庭を築いていかれるためにも、しっかりと生かされると思います。

おふたりが赴任しても、相手国から提供されるべき住居は準備されず、小さなホテル暮らしからのスタートでした。
自炊ができず外食ばかりでは味気ないだろうと、日本料理とはいきませんが、妻にマリ料理を作ってもらい、おふたりをはじめ隊員のみなさんと一緒に、事務所でよくお昼を食べました。
また赴任予定の隊員の派遣地の様子を一緒に見に行ったり、祝日には自宅でマリの音楽とダンスでお祝いをしたりしました。

結婚式では、新婦が新郎への手紙(当日まで新郎にも秘密だった)を読む時に声を詰まらせると、新婦より妻の方が涙が止まらなくなっていました。


結婚式が終わり、帰る新幹線の中で妻が無口になっていました。
私「どうしたの?」
妻「ブルキナファソの暮らしを思い出してとても切なくなったわ。一緒に食事をしたり、車に乗ってでかけたり、踊ったり・・・家族みたいだった」
2年間をともに過ごした隊員たちを、一緒に支えてくれた妻のそんな気持ちを聞いて、私はとても嬉しくなりました。

私「結婚式で何が一番印象的だった?」
妻「新婦が両親に挨拶したとき『おとうさん、おかあさん、本当にありがとうございました』って言ったでしょ。本当にそうよね」
妻は、新婦と自分が結婚した日の気持ちと重ねているようでした。

そうそう、新婦は最後に、新郎の健康管理をしっかりとしたいとおっしゃっていました。
ふつうは結婚すると、奥さんの残したものまで食べて夫は太ると思うんですが、さて、そうどうなるのか。1年後が楽しみです。

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こんにちは!私は後藤陸くんママ。2000年頃、ブルキナでご一緒させて頂いた、ゴトウユウスケの妻です。覚えていらっしゃいますか?覚えていない?・・・。

お久しぶりです。このホームページを偶然見つけ、そしたら、な、なんとホッキーさんたちの結婚の話がっ!驚いて、たまたま家にいた夫に「ねぇねぇ!ホッキーさん達、結婚したんだってぇー!」と興奮して言ったら、「おお、聞いた聞いた」と・・・。うちのパパはなかなか外で合ったことや聞いたことを私に伝えてくれないという癖?があるので、アフリカ関係のお仲間の話は一切、耳に入りません。でもこのサイトで知ることができ、本当にびっくりしたし、うれしくて・・・。

陸くんママさん、お久しぶりです!
お元気ですか?
陸くんは3年生ですか?

結婚式は、とてもすばらしかったです。
私も妻も、家族の結婚式のように嬉しかったです。

よろしければ今の住所をメールで教えてください。
結婚式の写真をお送り致します。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2004年3月14日 23:24に書いたブログ記事です。

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