日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

チョコレート、子供の強制労働

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バレンタインデーに関係して、こんな記事がありました。

【ワシントン和田浩明】バレンタインデーの14日、米民主党の上院議員らが「チョコレートの原料ココア(カカオ)の生産が子供の強制労働で行われているのに、対策が不十分」と指摘し、米国などのチョコレートメーカーを批判した。

引用元:Yahoo!ニュース - 海外 - 毎日新聞

こういうニュースがあると、自分たちの暮らしが何によって支えられているか、改めて考えさせられます。

ちなみに、ガーナやコートジボワールは、国際労働機関(ILO)の指導下、労働条件の実地検証が行われていると弁明しているそうです。

しかし、一方こういう批判はなるほどと思う一方で、それに対してどうするかという点を考えると悩んでしまいます。
前述議員の発言には、
「子供が奴隷として扱われている」
という言葉もあるのですが、子供の「奴隷」という表現からどのようなイメージを持たれるでしょうか。
それは過酷な強制労働を強いられているだけでなく、ものとして扱われ売買される人々、USAのかつての奴隷制度のイメージではないでしょうか。
私は、アフリカの広い地域の伝統的な制度に「奴隷」という言葉が使われることに、大きな問題を感じています。
それは、奴隷という言葉が、アフリカのいろいろな地域での様々な制度を、ステレオタイプにひとつの枠にはめて批判してしまうからです。

それから、もうひとつ、児童労働についても、答えのでない問題を感じます。
子供の人権、人間としての尊厳については、言うまでもなく、尊重すべきだと思っています。
しかし、たとえば、「奴隷の解放」「子供の人権」といって、ある日突然、ガーナやコートジボワールのココア農場で子供に働くことを禁止したら、どうなるのでしょうか。彼らは、そして彼らの家族は、それまでと同じように生きていけるのでしょうか。
子供が家族を支えている家庭もあります。
これらの子供たちの労働は、マリの北部で、学校に行かず両親と農作業をしたり、家畜の世話をしている子供たちと、どれほど大きな違いがあるのか、わからなくなってしまいます。
確かに強制的に働かされている子供たちもいるでしょう。
しかし、どこから「強制」労働とするのか、このしきりはとても難しいと思います。

中途半端ですが、バレンタインにちなんだ西アフリカの記事から考えたことでした。

追記
同じような主張を見つけ、トラックバックさせていただきました。
それ、おいしくないよ。: 物事の本質

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このページは、Yoshinori FUKUIが2005年2月18日 04:33に書いたブログ記事です。

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