日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

娘の「なりたいもの」

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エレベーターガールだったり、デパートの化粧品の販売員だったり、学校の先生だったり、ころころと「大きくなったらなりたいもの」が変わっている娘ですが、最近こんなことをいっていました。
「世界中の人が、ちゃんとご飯が食べられるように、お金を配るお仕事がしたいな」
お、いつもより高尚な夢だなあ

私「お金は、一回使っちゃったらなくなっちゃうよね。
そしたらまたおなかが空くでしょ?
だから、お金を配らなくても、ちゃんとご飯が食べられるようにする方がすごくない?
たとえばお仕事があって、それでお金が稼げたら、お金をもらわなくてもいいでしょ?
みんなが、お仕事があるような暮らしを作るってどうかなあ?」

娘「うん!そうだね!それがいいね
そういうお仕事あるの?」

私「たとえば、ママが、パパと結婚する前に働いていた国連がそうかな
なかなかうまくいかないみたいだけどね
日本にもマリの国の中にも、そういうことをしているところがあるよ」

娘「じゃあ、大学院に行ってからそういうお仕事するね」

私「あれ、でもこの前は、23歳で結婚して、27歳でご主人と世界一周するんじゃなかったっけ?」

娘「結婚しても、勉強できるでしょ?」

私「そうだね。それにそういうお仕事をしていると、ご主人に世界一周につれていってもらわなくても、世界中にいけるかもね」

娘「それ、いいね!よし、決めた!」

さて、この夢はいつまでつづくのでしょうか。

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コメント(2)

よい娘さんですね。
アイちゃん、何歳でしたっけ?
しっかりしてますね。
自立を支援する仕事、すばらしいと思います。

8歳です。

自立の支援、言うは易し、行うは難し。
難しい・・・

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このページは、Yoshinori FUKUIが2005年6月20日 16:46に書いたブログ記事です。

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