日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

来年の夏は砂漠へ

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気がつくと、義父が亡くなって、早5年半が過ぎています。
人種、文化、言葉を越えて、その生き様から、人としてのあり方を教えてくれた義父でした。
義父の死後、まだ一度も、その墓のあるマリの北まで行っていません。
砂漠の感覚を次第に忘れていってしまいそうです。

来年の夏は、何とかやりくりして、妻や子どもたちと一緒に、父の墓があるマリの北の砂漠に行きたいと思います。

日本で暮らしていると、毎日の繰り返しに押し流され、溺れてしまいそうな不安があります。
しかし、それは、砂漠のもっと単調な暮らしの中では感じたことがありません。
なぜなのでしょうか?

日本で、仕事における緊張感はあります。
家族との楽しい団らんも、もちろんあります。
それでも、日本にいると喜怒哀楽が希薄に感じます。

砂漠にいると、日々のできごとに大笑いし、身近な死に涙し、足が震えるような怒りさえあります。
自然の大きさに、手も足も出ないと感じることが多々あります。
そういうことが、強く、生きている実感になり、自分の暮らしを深く考えさせてくれます。

わずかな日数でもいいから、来年の夏は、砂漠に身を置きたいと思います。

  • ラクダやウシやヒツジの世話をし、そのミルクを飲み、井戸の水を汲み、テントで暮らす

  • 満天の星、砂嵐、暑い日差し・・・良くも悪くも(それは人の目から見た相対的なものに過ぎないわけですが)大きな自然の中で過ごす

  • 砂丘の上で、夕日を見ながら、友人や家族とおいしいミントティーを飲む

  • 義父の思い出を、夜更けまで語りあう

そういう暮らしをしてこようと思います。

それから、また日本で暮らしていきましょう。
砂漠の暮らしの気持ちを持ち続け、生きていることを実感できるように、日本の暮らしを変えて行きましょう。

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コメント(2)

私も最近は沙漠とはご無沙汰しています。ラクダとはもう1年くらい会ってないですねェ......。仕事しながらの生活は、どこに暮らしていても同じなのかもしれません。

でも、なんというか、落ち着きますね、やっぱりこっちにいると。

jujubeさんの”帰りたい”という気持ちがひしひしと伝わってきます。私も日本の日常にはたいがいうんざりしていましたが、jujubeさんとは正反対の日本人気質。ひっそりと涙したり、笑いをこらえたり。こういうのが主人のお母さんには分からないようです。いつになったらjujubeさんのように感じるようになるのかな・・・。
そうそう、TENEREをお気に入り登録することが出来ました!Yahooは調子が悪いのでどうなるかと思いましたが、大成功!また伺いますね☆

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このページは、Yoshinori FUKUIが2005年7月 7日 02:15に書いたブログ記事です。

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