日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

マリのナショナルデー(報告)

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愛知万博のマリのナショナルデーに行ってきました。

写真が多いので、今回はサムネイルになっています。
写真をクリックすると大きな写真が見られます。

午前11時からエキスポホールで公式式典が行われました。

マイガ工業・商業大臣の挨拶写真は、マイガ工業・商業大臣です。
一国で環境に取り組んでも、必ずその影響が回りの国に出る。隣国と協力して取り組まなければならない、など環境への取り組みについて、興味深いお話でしたので、スピーチ全文を入手したいと思っています。

日本側の挨拶は、マリの概要や歴史に降れる中で、世界遺産のジェンネの話に触れられました。
しかしマイガ工業・商業大臣は、マイガという氏名からわかる人にはすぐわかるように、ソンガイ系の北部出身の方です。
ですから同じ世界遺産でもむしろトンブクトゥのことに言及されればよかったのにと思いました。
もしガオの出身の方ならアスキア王やその墳墓の話題もあるでしょう
私も大臣の経歴について詳しいことは知りませんが、出身地など調べようと思えば、例えば大使館から、すぐに調べられるはずです。
また、ECOMOG(ECOWAS停戦監視団:ECOWAS Monitoring Group)によるマリ軍の派兵などにも触れられていました。
日本のイラクへの平和維持軍の派兵が問題になった(と私は認識しています)のに、マリの軍隊の他国への派遣を評価する発言についても、どうかなと感じました。
(ECOMOGについては、例えば4-1. 国際組織と停戦監視団の終わりの方に説明があります)

さて、開会の挨拶の後の、一市町村一国フレンドシップ事業の相手都市甚目寺の、甚目寺中学校ブラスバンド部の演奏は、なんとマリ国家の演奏から始まりました。
マリの方たちもとても喜んでいらっしゃいました。
最後のアフリカンシンフォニーという曲も素晴らしい曲でした。

マリ国立舞踊団妻は、マリ国立舞踊団のパフォーマンスが始まるまでは、「トゥアレグの音楽がないのは残念ね」などと行っていましたが、始まってみると風邪気味なのも忘れるほど楽しんでいました。
マリ国立舞踊団の後ろに映っているのは、砂漠の井戸です。
パフォーマンスの間、後ろの壁に、マリ各地の映像が流されていましたが、トンブクトゥや砂漠の映像がたくさんありました。
実は私は、国立舞踊団のパフォーマンスよりも、その後ろの、懐かしいトンブクトゥや砂漠の映像に目が釘付けになり、ちょっと涙目にまでなってしまいました。

1時間半ほどで終わった式典の後は、マリのブースで展示物の紹介やおみやげ売りの手伝いをしました。
妻は片言の通訳で売り上げに貢献していました。
日本人が売るより、やっぱりマリ人が売るほうが、品物や値段に、信頼感と説得力があるようですね。

ところで、マリの隣にモーリタニアのブースがあります。
妻が女性スタッフと親しくなり、私も片言のアラビア語をしゃべるのでディレクターに気に入られているため、私たち家族は、マリと同じかそれ以上にこちらのブースにも出入りしています。
このモーリタニアのブースを挨拶がてらのぞくと、今日はモーリタニア大使夫妻がいらっしゃっていました。
大使夫妻は、気さくに話をしてくださり、展示用のハイマ(モーリタニアのテント)の中でおいしいミントティーを飲みながら、私は大使と、妻は大使夫人と、ずいぶん長い時間、話をさせていただきました。
とても楽しい時間でした。

20050901C写真は、夕方、金山のANAホテルで行われたレセプションでのマイガ工業・商業大臣のスピーチの様子です。
このレセプションは、工業・商業大臣が来日されたという関係からか、愛知県や名古屋市の議員、名古屋商工会議所の副会頭、中日新聞の社長、UFJ銀行の企画部長、中部経済連合会の副会長(中部電力の社長)、百五銀行中部法人営業部長、甚目寺町長など、名古屋市の財界・政界関係者が中心でした。
バー観光・手工業大臣も来日されているので、もっと文化や観光関係の方も集められれば良かったのにと思いました。

ホテルのレセプションANAホテルでのレセプションでは、またマリ国立舞踊団のパフォーマンスを見ることができました。
しかし、午後にこのレセプションの前にグローバル・コモン5のイベントスペースで予定されていた彼らのパフォーマンスは中止になっていました。
マリのブースでお手伝いしながら、たくさんの方にイベントスペースでのパフォーマンスを宣伝していたこともあり、またエキスポホールでの式典のチケットが手に入らなかった大勢の方たちが楽しみにしていらっしゃったので、彼らのパフォーマンスの中止はとても残念でした。

大臣と大使の間の妻夕方のレセプションでは、おふたりの大臣とお話しさせていただけました。
バー観光・手工芸大臣とのお話で、大臣の友人・知人に妻の親類が何人かいることがわかりました。
それがきっかけで大臣から積極的にお話していただけました。
また、まったく失念していましたが、大臣に言われて、私の友人も大臣の元で働いていることを思い出しました。
厚かましくも大臣に「よろしくお伝えください」と伝言を頼んでしまいました。

観光・手工業大臣と妻午前、午後とも、マリのナショナルデーのレセプションに招いていただいたこと、とても感謝しています。
楽しく、思い出に残る1日を過ごすことができました。

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このページは、Yoshinori FUKUIが2005年9月 1日 23:20に書いたブログ記事です。

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