Tinariwenの渋谷での初来日コンサートで、西アフリカの黒人系の人たちはほとんど見かけませんでした(マリ人のコンサートでありながら黒人系マリ人はひとりもいらっしゃらなかったかも知れません)。
西アフリカの方がたくさん住んでいらっしゃる東京でありながらこのような状況になったのは、その値段だけの理由ではなく、やはりそのメッセージ性によるのでしょう。
Tinariwenの音楽は、以前書いたように、トゥアレグの、中央政府への抵抗や軍事行動への参加を呼びかけるものでした。
だからこそ、マリ国内だけでなく近隣諸国のトゥアレグや、同様にマリやニジェール政府に対する武力行動を起したマリ、ニジェール、アルジェリアのアラブには広く受け入れられました。
一方同じ理由から、Tinariwenの音楽はマリやニジェールの黒人系の人たちには決して快いものではありませんでした。
現在、当時の民族紛争は収まり、マリやニジェールには平和が戻っています(といっても、散発的なゲリラ活動や盗賊行為は今もありますが)。
しかし、民族紛争という抵抗の「歴史」があるからこそ、Tinariwenの音楽は、今も、過去の証としてそれを称賛する人々と、それを受け入れられない人々が存在します。
私たち家族は、コンサートを心から楽しみましたが、平和の中にも消え去ることのない壁と傷跡があることを、コンサートの後で話したのでした。
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