日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

森本哲郎の番組

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アザライ

写真は、サハラ砂漠の塩鉱タウデニからトンブクトゥまで塩を運ぶキャラバン。
20年以上前の1983年、ラクダで旅している途中、夜明け近くにこのキャラバンに出会いました。

growth and maturityというブログに、森本哲郎がトンブクトゥを訪ねた旅を追ったテレビ番組について書かれていました。
ぜひ、見たかった。
残念!

以下、番組は見れなかったけれど、ブログを読んで気になった点やコメントをいくつか。

今でも駱駝のキャラバンを組んだ砂漠の民・トゥアレグ族がマリ北部の山岳地帯から岩塩を二週間以上かけて運んでくるのだという。

引用元:growth and maturity:「ドンマーイン」/人を尊敬するということ/『男の嫉妬』/サハラ砂漠の風景

トンブクトゥの北約500kmのサハラ砂漠の中のにある塩鉱タウデニには、かつては政治犯の刑務所もおかれていました。
過酷な環境のタウデニに送られることは、死刑の宣告と同じだったといいます。
このタウデニからトンブクトゥまでの塩のキャラバンは、ニジェールの塩のキャラバンと違って、トゥアレグではなく主にアラブによって行われています。
途中にある唯一の村アラウアンも、アラブの村です。
森本哲郎の文章で、以前にも同じような説明を読んだ記憶があるので、これはブログの作者の聞き間違いでなく、番組の説明が間違っていたのでしょう。

三年ほど前、トゥアレグがマリ政府に反乱を起こし、アリー氏も砂漠に隠れていて、山羊や駱駝などの財産をほとんど失ってしまったらしい。彼の娘たちもご主人をなくしてアリー氏のところに身を寄せているのだという。

引用元:同上

これは3年ほども前の出来事ではなく、10年から15年ほど前の1990年代前半のことです。
このブログでも何度か書いたように、私の妻やその家族の身にも降りかかった大きな事件でした。
また、武力による反政府活動を行ったのは、トゥアレグだけではありませんでした。
アラブもそうでした。
この問題はトゥアレグに限らず、辺境の砂漠地域にあって、政府の十分な恩恵が受けられていないことに不満を持っていた非黒人グループの、政府の差別に対する不満の爆発でした。
それに対して、軍隊あるいは黒人系地域住民の一部は、反政府活動に荷担しているかどうかに関わらず、肌の色だけでトゥアレグやアラブを敵視しました。
罪のない人々が家を焼かれ、住む場所を追われ、町の中を引き回して殺されたりしました。
男だけでなく女や子どもにまでその被害が及びました。
私の知人や友人も少なからずその犠牲になって命を落としました。
私の妻(当時はまだ結婚する前ですが)も、トゥアレグの村に住んでいるというだけで殺されるリスクが大きくなり、すべてを捨てて砂漠に逃げました。
飲み水も十分になく、本当に生死の境をさまよった逃避行だったそうです。
政府の厳しい対応にもかかわらず、アラブ・トゥアレグ側へのリビアの非公式な支援もあり、問題は長期化し、多くの難民が国外に出る事態となりました。

日本にいた私は、問題が深刻化していく知らせを聞きながら、当時は携帯電話もまだ普及していなかったので、往復何ヶ月もかかる手紙で、妻とやりとりしていました。
しかし、郵便局経由で手紙を受け取ることも次第にままならなくなり、バケツリレーのように友人や親類を頼って手紙を託したり、受け取ったりしました。
しかしついに、妻が砂漠の中に逃げた知らせを聞き、仕事を辞め、とるものもとりあえず妻に会うためマリへ出かけました。
マリに平和が戻った今も、あの出来事は私たち家族の心に深い爪痕を残しています。
戦争の狂気を身をもって知ったからこそ、いかなる戦争も是とすることは出来ません。

トゥアレグ族はみな青いマントのような衣装を身にまとっているが、あれはどんな布でどういう染色をしているのだろうか

引用元:同上

布は木綿です。
汗をよく吸います。
広くて薄い一枚布だけでなく、細い帯状の布を何十枚も縫い合わせた高価なものもあります。
青い染料は藍(インディゴ)です。
妻や私がその衣装を持っています。 是非うちに見に来てください。

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コメント(3)

はじめまして。トラックバックありがとうございます。マリにお住まいでいらっしゃったのですね。

私が見た番組というのは「心の旅」というNHK-BSの番組で、大体10年ぐらい前のものの再放送のようです。ですから3年前というのは90年代前半ですね。不十分な説明で失礼しました。

番組の中で森本氏がらくだの背に岩塩を積んだキャラバンに声をかけていて、らくだを引いている男は青い服を着ていました。顔はアラブっぽくない印象で、トゥアレグというのは人懐っこい顔をするんだなという印象を受けました。ご説明の通りならば番組の説明が間違っているのだとおもいます。青い衣装はトゥアレグだけでなくほかの民族も着るのでしょうか。

染料はインディゴですか。なるほど、鮮やかな発色ですね。

いろいろと教えていただき、ありがとうございました。

kous37さん、コメントありがとうございました。

> 大体10年ぐらい前のものの再放送のようです。

あ、なるほど。
最近の番組じゃなかったんですね。
失礼しました。

> 青い衣装はトゥアレグだけでなくほかの民族も着るのでしょうか。

そうですね。
それに、トゥアレグが必ずしも青い衣装を着ているというわけでもありません。
また、テレビ番組などは、トンブクトゥ周辺のトゥアレグにラクダを集めさせて、即席の塩のキャラバンを編成して「やらせ」で撮影することもありますから・・・

わたしも、その番組を是非一度見てみたいと思います。

以前、森本氏の番組をテレビで見て、失望した記憶があります。
番組名や時期が思い出せなくて申し訳ないのですが、言葉も堪能で、現地の人とは非常に強い友情で結ばれていて... という日本語のナレーションと実際に彼が話していた言葉の内容があまりにかけ離れていたので。
何だか、不誠実な番組作りという印象でした。
上で書かれている番組はどうだったんでしょうね。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2005年10月25日 09:13に書いたブログ記事です。

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