(註:これは「フランスの暴動の根っこはどこにあるのか」という投稿を、引用部分の解釈の間違いを指摘いただき書き直したものです。)
パリ近郊から始まった暴動の続き。
もはや、パリの、という限定的状況ではなくなった暴動について、日本の3つのブログの分析が目を引いた。
多くの報道における今回の暴動のキーワードは、「移民」、「貧困」、「失業」、そして「(北・西)アフリカ系」と「イスラム系」だろう。
最後のふたつは、移民二世・三世の両親や祖父母の祖国とその価値観だ。
結果的に若いイスラム系の移民たちは、フランス人の提示するロールモデルに従って自己改造する意思を持たず、むしろ彼らが見たことも触れたこともない(その言語さえもう話すことができない)アフリカの民族的伝統や価値観に固執することでかろうじてプライドを維持しようとしてする。
このようなエスニック・アイデンティティの維持がもしかなりの程度有効であったならば、今回のような暴動は起きなかっただろうと私は思う。
ここまで問題が深刻化したということは、「フランス社会への同化」に対抗して立てられた「エスニック・アイデンティティ護持」という移民側の「自前のポリティックス」がもう実効性を持っていないことがあきらかになったということを意味している。
イスラムの信仰を守り、イスラムの習俗を堅持し、フランス的価値観を峻拒し、植民地主義的収奪の弱者として宗主国の倫理的責任を糾弾し続けてフランス社会内部にとげのようにささった「異族」としてあえて告発者の立ち位置を維持するという「告発のポリティクス」。
引用元:内田樹の研究室: la nuit violente en France
ここでは、移民二世・三世は、両親や祖父母の祖国の伝統や価値観に固執することで、プライドを維持しようとしている、と分析している。
端的に言えば、暴動の主体は紛う方なき歴としたフランス人なのである。言語的にもカルチャー的にもフランスに違和感をもって育った人ではない。暴徒の行動原理は一義的にはフランス人のそれであると理解していいだろうと私は思う。つまり、移民が問題の根幹にあるのではなく、ある問題が移民に投影された問題と理解したい。また、彼らの大半は未成年でもあり、大枠では、思想性もない、ありふれたお子ちゃまの大暴れという認識に留まるだろう。
引用元:極東ブログ: フランスの暴動について簡単な印象
一方こちらは、移民二世・三世はフランス人である、そして特定の状況にあるフランス人の問題が移民の暴動という形で現れている、と分析している。
移民一世は、第二次大戦後、フランスの復興期にフランスに来て、自分の意思でフランスに留まった人々であり、社会的立場はともかく、祖国にいた時に比べればはるかに恵まれた経済状況に満足していただろう。
しかし二世、三世は、自分の意思でフランスにいるわけでなく(それはフランス国内のフランス人や日本国内の日本人や在日韓国人も同じだろう)、差別されても帰るところはない。
また一世と違い、上がっていけない社会的立場を素直に受け入れることもできない。
両親や祖父母の祖国での暮らしも知らないから、自分たちの暮らしが「ましなもの」とも思えない。
このような状況で、移民二世・三世は、見たことのない両親や祖父母の伝統、文化、価値観に頼るのだろうか。
暴動の中心にいるのは、間違いなく「イスラム系」「(北や西)アフリカ系」の若者だろう。
報道する場合、これらのキーワードは、彼らを他者と区別するために分かりやすくて便利なものだろう。
しかし、「イスラム系」や「(北や西)アフリカ系」であることが、彼らのアイデンティティの核ではなかもしれない。
もしそうなら、彼らを暴動に駆り立てている理由もそこにはないだろう。
だから、ラマダンが終わっても問題は沈静化しなかったのではないか。
そして、今後も、イスラムや北・西アフリカのコミュニティや伝統に解決の糸口を求めてもうまくいかないのではないだろうか。
では、彼らはフランス人としてのアイデンティティを持っているのか。
そうでもないだろう。
両親や祖父母の祖国やその価値観に帰属できず、さりとてフランスにも完全に同化できないそのジレンマこそが、今回の暴動の原点ではなかろうか。
この問題に、音楽を通してひとつの答えを考えているブログがある。
移民層をフランス社会の中に取りこんで「統合」していくことを決意するなら,彼らがフランス社会内でプライドを持てるようにしなければなりません。フランス伝統の文化に飲みこまれるだけでは永久に劣等感から抜け出られない。出自の文化が誇れるようでなければならないのです。
確固とした誇りを持つことができれば、軽はずみな破壊行為、さらに自らの将来の可能性を閉ざしてしまうような行為に自制が働きやすくなるでしょう。
確固とした誇りを持つことができれば、軽はずみな破壊行為、さらに自らの将来の可能性を閉ざしてしまうような行為に自制が働きやすくなるでしょう。
こういう意味で、文化とは大事な、大事なものです。
(中略)
アルジェリア系をはじめとする北アフリカ移民層が近代化された「ライ」を演奏するのは、その行為を通じて自らの誇りを回復するためでもあるわけです。だからこれには北アフリカ移民層以外の移民および元からのフランス人は「手を出さない」、つまり伴奏くらいはしても、自ら主導的に演奏することはしないです。そういうことをしては彼らのアイデンティティを侵すことになりますから。
引用元:フランス語系人のBO-YA-KI:移民二世とワールドミュージック
移民系の人々は、音楽以外の場でも、新たな「アイデンティティの創出」(フランス語系人のBO-YA-KI:アイデンティティは創りあげるものから引用)ができるのか。
フランスは、音楽における懐の深さを、実生活のほかの分野でも示すことができるのか。
これからのフランスの進む道が、その答えを示してくれるだろう。
と、ここまで考えて、今さらながら、とても切実な問題に思い当たった。
これはフランス(の移民の二世・三世)だけの問題ではないのだ。
ふたつの文化の間に生まれた私の子供たちも同じなのだ。
彼らは、新たな誇りとアイデンティティを創り出せるのだろうか?
親として、少なくともその機会を摘んでしまうことのないようにしなければ。
といっても、無批判に何でも容認もできない。
彼らの可能性を広げてやり、対話の中から、異なる価値観の共存する道を探していかなければ。
ついに夜間外出禁止令が発令されたのですよね?と質問口調になるのは、まだ日本語で確かめていないからです。Couvre-feuが聞き取れたので、そういうことなのでしょう。16歳以下は、22時以降の外出禁止というのもぼくの耳が間違っていなければ聞き取れた気がします。
僕自身は最後の一行に賛成します。トレランスゼロなんていうと一見聞こえがいいですが、ニューヨークのジュリアーニ市長をヒーローに祭り上げている人たちが考えそうなことです。
人間は心があるから、人間なのです。だとしたらサルコジ内相が思わずこぼした「人間のクズ」という言葉は、やはり間違っている気がしてなりません。
ただひとつだけ若者に釘を刺しておきたいところとして、マグレブの方たちでも一生懸命頑張って立派になられている方たちもいるということです。
しかしながら同時に、すべての人間に等しく才能、それは音楽的、運動的、学問的とここでは限定させていただきますが、それが備わっているわけでは無いわけです。
しかしぼくの自論として、すべての人間に必ずきらりと光る何かがある、と思っているのです。
そこを引き出すのはやはり本人だけでなく、社会の責任であると思うのです。
だから武力のみの制圧なんてやはりしてほしくないと思うのです。
ながながと駄文を失礼いたしました。
Soleilさん、情報ありがとうございました。
政府は、25の県(増えているかも知れません)に、県知事の権限で夜間外出禁止令を出す許可を出した、ということです。
これは、暴動が少なくとも25の県に広がっているという認識なのでしょう。
実際に夜間外出禁止令を実施したのはいくつくらいの県なんでしょうね。
また、 政府の許可した夜間外出禁止令とは別に、パリ郊外のランシー(すでに7日夜から)、パリ南方のオルレアン、サビニ・シュロルジュなどは若者に限った独自の夜間外出禁止令をだしているようです。
背後にこの暴動を「組織化」している存在があるのでは、としているブログがいくつかありますが、個人的には、「笑い男」事件の模倣犯みたいなものだと思っています。(意味不明?)
また、若者の暴挙をイスラム系の家族も喜んでいるのでは、というような、フランスに住むムスリム全体、あるいはイスラム教そのものを批判するようなブログもあり残念です。
社会と個人、双方が責任転嫁せず、個人として、また社会の一員として、自分のまわりから次の世代に繋がる暮らしを作っていきたいですね。
パリでの暴動については、平均的な日本人よりも強く関心を持っているのですが、下手にコメントできるほどの知識も見識も持ち合わせておりません。
jujubeさんの記事やリンク先を参考にさせていただきたいと思います。