日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

結婚後の食費

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毎日読ませていただいているTAKE Cさんのカタールでの生活のブログ「ラクダな日常 Ver.2」。
変なところに反応してしまいました。

前から買おうと思っていた炊飯器の探索へ。

大型ショッピングモールなら何かあるだろうと思ったのですが、いずれも古いタイプの、しかも一升炊きの大きなものばかり。

引用元:ラクダな日常 Ver.2 通常モード

大きな炊飯器で炊いたほうがおいしいですよ
と言う話じゃなくて、某地域で結婚すると、
独身時の食費 × 2 ≠ 夫婦の食費
と単純計算できないというお話。

1.結婚後の食費 = 独身時の食費 × 家族の人数 × 付合い係数 × 同族との繋がり重視度

上の数式は冗談ですが、あながち冗談ではないかと。

マリやセネガルやブルキナファソで暮らしていた時、我が家は家族だけでなく、長期・短期滞在の親類、同族、同じ町に住んでいる友人、時々、日本人の研究者や旅行者等の食客が多いので、一升炊きの炊飯器をふたつ置いてました。
昼、夜ほぼ毎回一升炊き。

食事時になると、経済状態の厳しい同族の知人とか、その町に短期滞在中の同族のL'homme d'affaires(実業家、というかスーツケースで持ってきた商品を売り、稼いだ金でその町や国の商品を買い、また別の町や国に持っていって売っているインフォーマルな商人)が、ふらりと訪ねてくることも少なくありませんでした。
会ったことがなくても、同族なら家族と同じ。
同族でなくても、隣人や知人なら、わざわざ断って訪ねるなんてことはありませんでした。

で、あ、お客が多いな、と思った時は二つ目で追い炊き(これ風呂用語か?)してたそうです。
そんな状況でしたから、米を10kg、20kgなんてちょろちょろ買っていたのではすぐに切れてしまうので、100kgの袋単位で購入してました。
100kgの米は、1ヶ月強で使いきっていたそうです。

ジャガイモやタマネギも50kgの南京袋で買ってました。
前にも書きましたが、妻の民族は遊牧民系ですので、牧畜している時は飼っている家畜を殺して食べることは少ないのですが、肉は大好き。
あればしっかり食べます。
毎週1〜2頭のヒツジを我が家でさばいていました(年間50頭以上か)。
仕事が終わって家に向かって車を走らせ、我が家が見えると、屋根にハゲワシが数羽。
あ、今日はヒツジを殺した日だな、と家に着く前によくわかりました(笑)

話が逸れちゃいましたが、独身の時は、同族のうちで食べさせてもらっているだけでも済んじゃいます。
しかし、結婚して家を持つと(タマシェク語で「家を用意する」は「結婚する」と同義語)、かかる食費は独身の時にかかった食費に、妻や子供たちの人数を掛けた単純計算では絶対に足りません。
結婚したら独身時の数倍稼がないと、カメラとかにまわすお金がなくなっちゃいますよ、誰かさん。

あ、これが、今のうちにいろいろ買っておく口実になるのか。
ああ、これが結婚しない理由にできるのか。

2.グローバル化による個人主義のひろがり

タイトル負けした内容になってしまいますが、まあそんな感じかと。

ゆとりのある者がゆとりのない者に「施す」(「施し」という感覚じゃないと思いますが、それはまた別の機会に)こと、食費に限らずいろいろな経済的支援が不文律になっていること、に抵抗のある人たちも増えています。
家の扉に鍵をかけるなんて習慣のなかったトゥアレグ社会でも、扉に鍵をかけたり、門番を置いたり、インターフォンをつけて、家に入る人を選ぶ家庭もあります。
もちろん批判はありますが、それでもそうすることの経済的メリットを選ぶ人もでてきました。

そういう態度は取れないが、自国や他国でも同族の多い町に居てはぜんぜん貯蓄ができないと、海外に仕事を求めた人も少なくありません。
互助制、経済的平準化の中に取り込まれたくなかった、という気持ちも、フランスやリビヤやガボンやサウジアラビアに出稼ぎに行った人たちの動機のひとつでした。

3.それでもギブ、ギブ、ギブ&テイク

例えば、単純に、我が家の出費とその「メリット」を計算したら、絶対に割に合いません。
でも、わたしがフランスやセネガルやモーリタニアやマリに行った時は、ホテルに泊まる必要はまったくありません。
同族のいるところなら、「遠慮なく」泊めて食べさせてもらうことができます。
セネガルのダカールのゲルタペ(低所得層の多い大衆地区)で泊めてもらった時は、ダニが多くてちょっと困りましたが(笑)
自分が食べさせた相手から返してもらわないけれど、同族内で必要なら収支の修正ができるわけです。

もしわたしが無一文になったら、サヘルで家族が、最低限、食べて、暮らしていける保証はあります。
すると、この「制度」は、実は欧米より古くから確立された年金か保険みたいなものかもしれませんね。
でも年金と違って、老後にそれが帰ってくるとは限りませんが。
あ、年金も対して変わりませんか。

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コメント(5)

湾岸は独り身には肩身の狭い社会ですねぇ(笑

>>同族でなくても、隣人や知人なら、
>>わざわざ断って訪ねるなんてことはありませんでした

わたし、これが未だに慣れなくて......特に年配者の家へ行く時は、
事前に電話でもして連絡を入れてからでないと、と思ってしまうのです。
そうこうしているうちに訪ねる機会を逸して、ますます足が遠のくわけですが(笑
そのことで、今回アル・アインでは叱られてしまいました(--;ゞ
最低でも月に一度は顔を出せ。
たった5分であっても客間に座って、コーヒーの一杯も飲んで挨拶してこい。
そう言われました。

5分で帰してもらえないから、行くのヤなのに(--;

> 5分で帰してもらえないから、行くのヤなのに(--;

5分で返してもらえなくても、行くのが嫌にならない方法;
聞かれて嫌なことを解決しておく(笑)

>>聞かれて嫌なことを解決しておく(笑)

あぅあぅ〜。
結納金だけで200万円なんて、用意できましぇ〜ん(T_T

> 結納金だけで200万円なんて、用意できましぇ〜ん(T_T

お金持ちの国は大変ですねえ
でも、機材と車を売れば・・・(おい)

ところで、そちらでは建前と本音、ホントに同じですか?
サヘルでは、面子があるから、よその人にはたくさん払ったというけど、実際に新郎の父、新郎、新婦の間ではずっと安い結納金ですませている、ってこと(が実はけっこう)ありますよ。

「金がないなら、カメラ売れば?」とは、よく言われております(笑

建前と本音は、どんな国、社会でもありえると思うのですが、
結納金に関しては、言っている額は本当のようです。
と言うのも、この額は新婦側(の母親の意向)から提示されるものだからです。
世間に向けてというより、自分が安く買い叩かれるのは嫌だというのが理由でしょう。
結婚後も、奥さんは毎月小遣いをもらうのが常識で、それは自分でキープして、買い物に出かけた時は、だんなに全て支払わせるのだとか。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2005年11月13日 10:08に書いたブログ記事です。

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