日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

フランスの騒擾(恐らくこれで最後)

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フランスから遠い私に、これ以上言えることもなさそうなので、この事件について書くのはこれが最後かと思います。
最後は、筋の通った文章じゃなくて、思い出を中心に思いつくままに書きました。
論理的でなく、分かりにくいですが、書いておきます。

1.黒人やアラブ・イスラムへの先入観

フランスに初めて行ったのは1975年。
意外に昔でしょ?
中学3年でした(歳がわかりますね)。
実は、フランスにはイギリスからのの帰途、観光で立寄っただけ。
その前のひと月ほど主にシェフィールドで寄宿舎生活してました。
着いた日、ホームシックになりました。
翌日直ってただけど。
それはともかく、町で買い物していて、あるいはロンドンに出て黒人に会って、意味なくびびっていました。
とても怖かった。
なんででしょうか?
日本のメディアって、黒人は怖いって思わせる「見せ方」をしていませんか?
その後は、アラブやイスラムについて、そういう傾向が日本のメディアにはあると思っています。
韓国や中国の日本のイメージもそうやって作られているのかな。

2.制度の整備(マクロ的対応)

在仏日本人のブログで、今回の騒擾に関連して、マグレバンやアフリカン(どちらも移民第一世代だけでなく二世・三世を含む)は、真面目で報われない日本人より優遇されている。
それなのに・・・という話がいくつかありました。
一人一人じゃなく「全体」としてはその通りかなと。

植民地時代の歴史、アルジェリア戦争、インドシナ戦争などでの、フランス本国とマグレブや西アフリカの関係とか考えると、第二次大戦で敵国だった(古い?)日本より、彼らが優遇されるのも仕方ないか、と思うのはおかしいですか?
フランスって時々反日で盛り上がるし、クレソンさんとか忘れられません。

私なんか、教育を受けた賢いマグレバンやアフリカンより、日本人の方が遥かにフランス社会の中に入り込みにくい、ほとんど不可能、と思っているんですがどうでしょうか?
日本人ひとりひとりに対してでなく、日本人というのステレオタイプのイメージに対してのフランス人の印象は、
・いつもにやにや笑っている日本人は東洋の神秘、わけがわからん、
・だけど電化製品で市場を侵してくるぞ
・別にフランスにいてくれなくてもいい
そんなフランス人の感想を聞いたことありませんか?

3.個人的体験としての差別(ミクロ的要因)

1980年代からは、何度もフランスに行き、短・中期の滞在をしました。
アラビア語が少し話せたのと、モロッコ、アルジェリア、チュニジアに滞在した伝手(つて)、あるいはフランス国内で知りあい、マグレブ出身やマグレブ系の友人がたくさんできました。
変な出会いもありました。
バルベス(何してた?変なことじゃないよ、友人の家が近いんだよ)付近でショルダーバッグを盗まれました(まぬけ)。
でもマリでもらったタスビーハ(イスラムの数珠)がバッグに入っていたら、「兄弟からは盗れない」といって、呆然とカフェに座っていた私に返しに来てくれ、仲よくなった(おかしいかな?)アルジェリア系のおにいちゃんがいます。
地下鉄のエスカレーターで、「おい、前の奴から盗るぞ!」とダルジャア(アルジェリア訛りのアラビア語)が聞こえたので「おい兄弟、***(放送禁止用語)」とアラビア語で罵ったら夕食に招待してくれたにいちゃんたち(こいつらもアルジェリア系だったなあ)もいました。
あいつら、外では酒飲んだり、草やったりしてても、家に帰って父親の前ではタバコも絶対に吸わない(吸えない)んですよね。
母親に言われると、二つ返事で買い物引き受けて、モロッコ人の雑貨屋に走っていったり(笑)。

すいません。
上は単なる前置き。
さて、毎回アフリカからフランスに立寄った時、たいていモロッコ系の友人・あるいはその知人のうちに泊めてもらっていました(妻と結婚してからは、これがトゥアレグ関係の家に変わりましたが)。
セネガルやブルキナファソで働いたり、マリ出身の家族がいるため、セネガルやマリ出身の人たちの家庭に食事に招かれたりすることも多いです。
そんな彼らは、私の知人のフランス人たちと同じ「程度」のアパートに住む人たちもたくさんいますが、トイレが共同だったり、お湯がなかったり、何人もの独身者が共同で住んでいる場合も少なくありませんでした。
小便はそこの洗面器でしてくれって言われたり・・・
この前、パリ市内の火事で焼けてアフリカ系の人々が亡くなったアパートもそんな感じだったのでしょうか。
個人的には、マグレバンとかアフリカンは結構大変な暮らしをしていたよなあ、という思い出が強いです。

時々、仕事や買い物で町の中心に出て在仏日本人の方たちと話すと、わたしがマグレバンたちと親しいことを知らない人たちは、私の前で彼らをぼろくそにけなしました。
いやもう、味噌も糞(失礼!)も一緒、マグレバンや西アフリカン全員が犯罪者扱い、サルコジ内相以上の「社会のくず」的発言。
Front Nationalの受け売りみたいだな、ルペンがそんな数字言ってなかったっけ?という「解説」もよく聞かされました。
上記FN関係者とかフランス人でマグレバンを徹底的に嫌っている人がいますが、日本人のマグレバンやアフリカンに対する差別的な発言もすごいな、と感じました。
彼らをよく言う日本人ています?
まず、いないかな。
つまり彼らは、制度による待遇はともあれ、(少なくとも多くの在仏日本人からは)そういうきわめて批判的見方をされる立場にあるのではないでしょうか。

なぜなんでしょう?
実際にみなさん、それほど直接・間接的被害に遭っているのでしょうか?
それとも、あれはフランス人になったつもりの受け売り?
よその国で、他の集団を自分より下に置くことで自分の立ち位置に安心感を持てるのか?
最初に書いた一部のマグレバンや西アフリカンのエリートへの嫉妬もあるんでしょうか?

私が今までで一番差別的な扱いを受けた(と個人的に思っている)のは、1981年、フランスではなくてイギリスのSOASの図書館で(詳細は省略)。
差別って、した側はすぐに忘れてしまうかも知れないけれど、された(と思っている)側は絶対に忘れません。
私は、あれがトラウマ(大げさか)で、初めて行った外国なのにイギリスがあんまり好きになれません。

車に放火したりしている若者たち、制度による差別という大きな話じゃなく、ひとりひとりが差別された(と思う)きわめて個人的な体験を持っているんじゃないでしょうか。
制度上の恩恵があっても、差別的な見方をされていることと、個人的な差別的体験を持っていること、それが彼らの根深い行動原理かも知れないと思いました。
そしてそれは、制度の整備ではなく、そういう個人的な差別がなくならないと解決しないのではないでしょうか。
あるいは、そんな個人的な体験を乗り越えられる「誇り」が持ればいいのかも知れません。
そのために、制度の整備が有効なのでしょうか?

しかし個人的要因をこぼさずすくえる制度改革というマクロ的対応はなかなか難しそうです。
フランス政府はいっそ、中国が日本をそう利用しているように、あるいはUSAにとってのイスラム・テロのように、「外」に警察や社会やサルコジじゃない仮想敵を作って誤魔化しますか?
でも、個人主義の強いフランスの人々は、それでまとまらないでしょうね。
尻切れトンボですが、悩んだまま、この投稿は終わります。

追記

「普通」の日本人の方の見方とかなり違うでしょうし、一部の内容は、在仏の方の受けは良くないだろうなあと思いましたが、マグレバンやアフリカンと付合いのある日本人の視点というのも、ひとつくらいあってよいだろうと、敢えて書きました。
フランス人とも、在仏日本人とも、日本の報道とも違う視点だと思います。
大きな流れにいや違う、と一言いいたくなるへそ曲がりなのところは、フランスっぽいかな(笑)
そうそう、マグレバンやアフリカンのブログもいろいろ読んでみたいですね。

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コメント(5)

こんにちは。
あなたのコメントが在仏日本人のなかでは、
いちばん共感できます。
ものすごく勘違いしてる日本人の垂れ流しの差別発言に
辟易していたところです。

日本国内の旧植民地出身者や外国人(特にアジア系)への
差別的制度が、フランスのそれと比べたとき、どうなのか。
だからといってフランスの同化主義的差別政策に
免罪符を与える気もありませんけど。

この件に関してのみしかわかりませんが
(また、そうであってほしいですが)
「そりゃよござんした」は、最悪だと思います。

自分はベルギーに2年とガーナに2年の滞在(長期のものは)しかありませんが、アフリカ人の優秀さと逆にヨーロッパでごろついているアフリカ人も見ました。日本の差別たとえば士農工商以下の人々(一般の人の目に触れないような職業につく人)がヨーロッパでの移民(比較的低賃金で働かざるを得ない人々)に対応するのかなと自分ながら考えてみました。解決策はあるのでしょうか?移民を優遇すれば逆差別だとネイティブは怒るようにも思えますし。やはり教育しかないのですかね。
ガーナにいる時、是非ブルキナに行きたかったのですが、国境がキナ臭くて行けずじまいで残念でした。

ishikawaさんて、王立****研究所の?!
うわ〜、お懐かしい!
1997年、ml-africaall、G-Africaでお世話になりました。

私がブルキナファソにいた頃は、平和部隊の若者が、おいしいフランスパンを買いにガーナからブルキナまで気軽に来てました。
平和って本当にいいものですね。

差別のない区別。
仕事の上下関係と離れた人間としての平等。
義務と責任の上になり立つ権利と自由の主張。
そんなものが、もっと身近になると良いですね、

大正解です(笑)
私は相変わらずHIVの仕事です。某感染症研究所におります。
ガーナ在住時は家族5人でODA太りでした。その代わり
○ICAとは大分戦いましたが。
80年代のケニア、90年代からのガーナは平和だったと思います。
この平和をサステイナブルに感染症と言う分野で貢献したいと
思っているのですが。。。。

下記の表現はまったくもって素晴らしいと思います。
F井さんには絶対それが出来ると思います。

差別のない区別。
仕事の上下関係と離れた人間としての平等。
義務と責任の上になり立つ権利と自由の主張。
そんなものが、もっと身近になると良いですね、

まぐれぶさん、
共感いただき、とても嬉しいです。

この投稿、非難・反論が多いかと思ったのですが・・・

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このページは、Yoshinori FUKUIが2005年11月13日 23:06に書いたブログ記事です。

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