日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

近況報告、お詫び、そしてマリへ!

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5月末から、咳がずっと止まりませんでした。
ひどい時は立て続けに咳込んで、めまいがして、車の運転に自分で危険を感じるくらいでした。
市民病院や近くの町医者などにかかっても一向によくならず、最終的に呼吸器専門の医師に診てもらったところ、咳喘息と言われました。
放っておくと3割くらいが気管支喘息に移行してしまうとのこと。
むむむむむ。
妻が初めて日本に来た時、空気の悪い東京で喘息になり、時々発作に苦しむ様を見ているので、気管支喘息にはなりたくありません。
医師の指示に従いステロイドを使った治療を行い、今週になってようやく咳が減ったかなと自覚できるようになりました。
やれやれ。

そんな状況で、予定していた「マリを味わう集まり」ができませんでした。
深くおわび申し上げます。
ブログやメールの方も放置状態になってしまいました。
本当に申し訳ありませんでした。

という状況ではありましたが、念願のマリ行きの準備だけは、なんとかやってきました。
治療は継続中ですが、医師の了承も得て、本日から8月末までマリに行ってきます。
マリの北部の乾燥して、慣れ親しんだ空気を吸えば、喘息も治まるのではないかと楽観視しています。
車が多くて空気の汚いバマコは、ちょっと心配ですが・・・

できるだけ安いルートを探し、エミーレーツ航空を利用する事にしました。
バンコクとアジスアベバ経由のエチオピア航空でもよかったのですが、ドバイ、カサブランカ、ダカール経由のルートが、今回の旅の目的に適っているということもエミーレーツにした大きな理由でした。

ドバイはトランジットのみ。
カサブランカは、義母が手術した場所であり、その時お世話になった親類にずっとお礼を言いたいと思っていました。
今回やっとそれが果たせます。
また、老後に住みたいと思っている国のひとつであるモロッコの雰囲気をちょっとだけでも味わえるのもありがたいです。
ダカールでは、マリで勉強している息子の日本のビザを申請します。
ここにもトゥアレグの友人がいるのでカサブランカについて宿泊費はかかりません。
それから、いよいよバマコに入り、義母を見舞います。

そして、息子が中学の3年間を過ごしたマリ北東部のアンソンゴと、さらに東にあり小学校の数年を過ごしたニジェールに近いティン・ハンマに、公私共にお世話になった先生や義兄にお礼の挨拶をしに行きます。
それから雨の状況に応じてルートを考え、義父が亡くなったグンダムというトンブクトゥの西の方の町に行きます。
それからいよいよラクダやヒツジを預けている砂漠に!
これはモーリタニアの国境に近いあたりですが、草の状況に応じて移動しているので、近くまで行ってみないとどこなのかはっきりしません(笑)
ここでできるだけ長くすごし、砂漠の暮らしを味わってきたいと思っています。
娘にも、モノにあふれた日本と全然違う暮らしをしっかり体験して、そこから何かを考えてもらいたいと願っています。
マリからは、ブログを書くことは難しいでしょう。
それはインターネットの状況の問題だけでなく、私自身がブログを書くよりも、貴重な時間をマリの暮らしに入り込む事に使いたいと思っているからです。
バマコに着いた時と、帰る直前には、向こうの様子を少しはお伝えしたいともいますが、写真や詳しいお話は、帰ってくるまでお待ちください。

インターネットにアクセスできない期間もあり、この間メンテナンスができなくなりますので、スパムが非常に多いことからも、8月はコメントやトラックバックができないようにさせていただきたいと思います。
どうぞご理解の程お願いいたします。
また、このブログのベースプログラムであるMovable Typeのバージョンアップもあり、9月には構成を変更して、再出発したいと思っています。ご期待下さい。

8月は密かに準備していました写真ブログでもぜひご覧になってください。

では、マリに行ってきます!

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2006年7月28日 01:39に書いたブログ記事です。

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