日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

同化ではなく

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私は両親からよくこう言って責められます。

「お前が家の中で日本語を話さないから、彼女(私の妻)がなかなか日本語を覚えられないんだ。
だから意思の疎通がなかなかできない。
お前が悪い。
郷に入りては郷に従えというだろう。
日本に住んでいるのだから、彼女が日本人(と同じに)になれるように、日本語や日本の習慣やマナーを教えなさい。」

3行目までは、仰る通りです。
はい、私が悪い。
黙って拝聴します。
でも最後の2行は納得できません。

彼女を無理やり日本人に「同化」させたくありません。

わたしは、サハラ砂漠で生まれ、サハラ砂漠の匂いを持った妻を愛して結婚しました。
彼女の価値観、文化、言葉を含めて彼女を大切に思っています。

よく国際結婚(という言葉自体も使いたくないという当事者もいらっしゃいます)された方が、
「愛したのが、たまたま外国人だった」
「何人かは関係ない」
と仰るのを聞きます。
でも、私の場合は、(日本は大好きですが)日本の、特にバブル前の物質的な社会、暮らし、価値観に疑問を持ち、日本を離れて出かけた先の砂漠で、そこの価値観を持った女性であったからこそ、いつも一緒にいたいと願い結婚しました。
妻という一個人とともにその価値観や文化とも結婚したような感じでしょうか。
ですから、私の場合は、
「愛したのが、たまたま外国人だった」
「何人かは関係ない」
とは決して思いません。
いつまでも彼女なりの価値観を持ち続けてほしいと思います。
勿論、彼女が日本を始めいろいろな場所で、そこの文化や価値観に触れ、その価値観が変わることがあるでしょう。
でもそれは彼女自身に選択であってほしいと思います。
日本の文化や価値観を学び、自分の意思で、その中から選択したものを取り入れていくことには、決して反対しませんが、それは決して強制すべきものではないはずです。

日本で暮らしていく中で、その社会やコミュニティの中で生きていくために必要な知識、他者に迷惑や不快感をかけないための習慣やマナー、暮らしていく上で知っているべき、知っていたほうがいい習慣や文化は、できるだけ丁寧に妻に説明し学んでもらいたいと思います。
でもそれは、彼女に日本人に「同化」してもらいたいということとはまったくちがいます。

たとえば、大きく違った価値観や文化を持つ私たち夫婦の間で、私たちの息子や娘はどちらかに「同化」できるでしょうか。
それは、彼らの自然なアイデンティティの形成とは違います。
彼らは、私たちの価値観や文化を自分たちで時に悩みながら、吸収し、選択し、捨象・抽象化して、息子なり、娘なりの独自のアイデンティティを形成していかなくてはならないと思います。
それは暮らしている社会、あるいは私たち夫婦のどちらかの価値観・文化のひとつとの同化では決してありません。
暮らしている社会、私たち夫婦の価値観と文化すべてを自分なりに融合させる作業であり、私たち夫婦もそうであるように、彼らの成長とともに変容していくものでしょう。

今一番関心を持っているフランスの騒擾についても、夜間外出禁止令の実施以上に、政府の示した対策の中の上と関連した記述が気になりました。

ドビルパン首相は8日、国民議会(下院)で演説、「政府には、日々の生活が困難な地域を他の地域のレベルまで引き上げる責任がある」と述べ、<1>差別解消にあたる専門機関の設立<2>貧困層に対する約2万人の雇用創出<3>同化政策を推進する民間団体への1億ユーロ(約140億円)の援助——などの政策を主に移民向けに実施する方針を表明した。

引用元:仏北部の県で外出禁止令発令、首相は移民向け政策発表 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
一方、暴動発生地域は、イスラム系を中心に移民が多く住み、近年の低成長・高失業の傾向のしわ寄せが顕著であるため、今日の状況に適した「同化政策」を打ち出すとしている。

引用元:仏が非常事態宣言…夜間外出、知事に禁止権限 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

読売新聞のオンラインの記事の「同化」とは、フランス語でなんだったのでしょうか。

Dans ces conditions, la priorité du gouvernement est donc au rétablissement de l'ordre. D'où l'instauration du couvre-feu mise en train aujourd'hui. Reste que les problèmes de fond qui expliquent cette flambée de violence dans les banlieues doivent aussi être traités. Dominique de Villepin a lancé plusieurs pistes lundi soir, avec notamment une ouverture de l'apprentissage aux enfants dès l'âge de 14 ans, et non plus 16 ans. Une initiative qui est d'ailleurs loin de faire l'unanimité dans les milieux de l'enseignement et de la formation.

Le gouvernement entend également rétablir les subventions aux associations qui s'occupent des quartiers difficiles, après les restrictions budgétaires infligées ces dernières années. A cette fin, 100 millions d'euros seront débloqués en 2006. Le Premier ministre a également annoncé la création "dès janvier 2006 de 5.000 postes d'assistants pédagogiques pour les 1.200 collèges des quartiers sensibles".

Autres innovations administratives, Dominique de Villepin a annoncé à l'Assemblée la création "d'une grande agence de la cohésion sociale et de l'égalité des chances", qui sera "l'interlocuteur des maires pour toutes les questions relatives aux quartiers sensibles". En outre seront mis en place des "préfets délégués à l'égalité des chances".

Globalement, a déclaré ce matin le chef de l'Etat lors du conseil des ministres, il faut désormais "renforcer et accélérer l'ensemble des politiques engagées depuis trois ans pour l'éducation, la rénovation urbaine, l'emploi, la lutte contre les discriminations" afin d'offrir un avenir à tous ceux "qui ressentent que leur horizon est bouché par la relégation sociale, le racisme et les discriminations". Autant de mesures qui nécessiteront évidemment beaucoup plus de temps que l'instauration d'un état d'urgence...

引用元:La Tribune.fr - Le gouvernement met en place l'etat d'urgence
Devant les députés, Dominique de Villepin a annoncé que le gouvernement allait débloquer 100 millions d'euros supplémentaires pour les associations en 2006 et la création prochaine "d'une grande agence de la cohésion sociale et de l'égalité des chances", de postes de "préfets délégués à l'égalité des chances" et de "5000 postes d'assistants pédagogiques, dès le mois de janvier, pour les 1200 collèges des quartiers sensibles".
Il a demandé au ministre de l'Emploi, Jean-Louis Borloo, que 20 000 contrats d'accompagnement pour l'emploi et contrats d'avenir soient réservés aux quartiers difficiles. Le Premier ministre a décidé de dégager 25% de moyens supplémentaires sur une période de deux ans pour la rénovation urbaine. Il a également encouragé tous les jeunes de moins de 25 ans, habitant dans l'une des 750 zones urbaines sensibles, à se présenter dans les trois prochains mois à l'ANPE ou dans les missions locales et maisons de l'emploi pour se voir proposer une formation, un stage ou un contrat. Le nombre d'équipes de réussite éducative prévu par le plan de cohésion sociale devrait être doublé à la fin 2007.

引用元:Villepin s'explique - LEXPRESS.fr

la cohésion sociale et de l'égalité des chancesでしょうか?
しかし、これはせいぜい「社会的のまとまりを強くし、(就労などの)機会を均等にする」くらいの意味で、フランスに同化していない(遭えてこう言っておきます)異なった価値観や文化的背景を持つ若者に対する「同化政策」というものではありません。

暴徒と化した若者たちの価値観・文化のベースに何があるのか、私にはわかりません。
他者から示された道による「同化」では、日本に来た妻が、妻自身ででありつつ、自信と誇りを持って生きることはできません。
私たちの子供たちが、日本に同化することは、自分たちの半分を形成している妻の価値観や文化を否定することになります。
同じように、「同化政策」によって、彼らが誇りと自信に満ちたアイデンティティを持てるとは思いません。 確かに、今回の騒擾の元に「宥和政策」の遅れ、不備、あるいは根本的な方向性の間違いはあるでしょう。
しかしそれは、「同化政策」によってではなく、以前引用させていただいたアイデンティティの創出(その音楽的側面でライという音楽があげられていました)こそが必要なのではないでしょうか。
そして、少なくともフランス語で読む限り、フランス政府は、それを模索しているように思います(理想論、机上の論理に終わるかどうかは別問題ですが)。

では、読売新聞の記事はいったい何?
どなたかあの記事の「同化」にあたる部分を含む記事をご存知の方はお教えください。

追記

日本の新聞の「危うさ」の指摘と「同化」という同じテーマについて、フランス語系人のBO-YA-KI:「フランスは同化主義だ」と言うのは間違いのもとだと思いますという素晴らしい投稿がありましたので、紹介させていただきます。

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パリ在住の猫屋と申します。今回の騒動に関するエントリを“同化”という言葉を使っていくつか書きました。元の単語はintegrationです。ただ、日本語での同化とはだいぶ意味合いが違ってくると思います。なぜならば、“同化”する母体である“国家”なり“社会”なりの言葉の持つ意味が必ずしも同一ではないからだと思います。

日本という、おおまかに言ってしまえば単一民族・単一言語・単一宗教(現実上はそれほど明確ではないと思いますが)の日本と多宗教多エスニックの(これも問題は多い)フランスでは情況が違いすぎます。

日本に暮らす諸外国人が“日本人に”なるための努力と、2重・3重国籍保有者が多い欧州での欧州人になろうという努力を比べることも不可能です。

また同じ国内でもパリや東京、そして地方都市ではまた家族・個人の生き方も代わってきます。

“共和国”のもとに、異なった人々がユニヴァーサルな価値を共有するというのが仏国の“理想的”共有観念なのですが、今回の騒動を見ても、持てる者と持てない者の間の格差がどんどん広まっているという危惧感を持ちました。

なお、今日のル・モンドにラップ音楽から見たフランスの若者に関する興味深い記事がありました。http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3230,36-708868@45-1,0.html
ここでは北アフリカ系ばかりではないフランス人口の側面を見ることが出来ます。

今回はテレヴィの報道が騒ぎを大きくした面もある。また外国メディアの扱いがおおざっぱすぎた印象があります。

ヨルダン、アフリカ諸国、イラク、パキスタンともっと大変なことが起きているんですが。

蛇足かと思いますが、友人はふたつの文化を持つ子供達を“ハーフ”ではない“ダブル”なんだと言っていました。ふたつの文化を持って生まれた子供が、その事実をチャンスととるかハンディキャップととるか、、それは親と環境と社会が準備し、子ども自身が選んでゆくものだと思います。

突然長文で失礼いたしました。

TENEREさま
raidaisukiです。
(TypeKeyのやり方はよく分からないのでこのまま書いてみます。これで一応いいんでしょうか・・・)

TENERE さんのご投稿こそ素晴らしいものです。身近な、しかしご自身にとって一番大切なことと、いま世界で一番問題になっていることが直結しています。
わたしのなどは頭で考えただけのものです。

この投稿を、フランス語教育関係の仲間たちのMLでつたえてあげたく思います。よろしいでしょうか。(ひょっとしたら仲間のご一員なのかもしれませんが。 (^_^;)  )
わたしのことが書いてあるので気がひけるのですが、この投稿はどうしてもみんなに読んでほしいので、そうしたく思います。 m(_ _)m

raidaisukiさん、
サイトで勉強させていただいております。

> この投稿を、フランス語教育関係の仲間たちのMLでつたえてあげたく思います。よろしいでしょうか。

出典としてURLでも書いておいていただければ、使っていただけるのはすごい嬉しいです。
読んでいただくために書いていますから。
どうぞよろしくお願いいたします。

猫屋さん、コメントありがとうございました。
ね式(世界の読み方)ブログは、RSSアグリゲータの巡回コースに入れさせていただいております!

日本語の「同化」とフランス語の"integration"の意味が、今回の報道においてもニュアンスが違うことはわかります。

しかし、
> 日本に暮らす諸外国人が“日本人に”なるための努力と、2重・3重国籍保有者が多い欧州での欧州人になろうという努力を比べることも不可能です。

えっと・・・私の投稿では、このふたつの努力は比べていないつもりでした。
私たちは、妻が「日本人になる」努力を放棄しています(汗)。
それが日本ではしばしば批判されます。
しかし、日本の社会で暮らしていく努力は惜しんでいない、それではいけないのか。
ここまでが前半。

私たちは、きっと欧州でも、欧州人になる努力はしません。
しかし、しなくてもいられる「理想」がフランスにはあったはずだ。
日本の報道は、フランスの多文化主義を理解せず記事を書いていないか。
それが後半部分です。

> 今回はテレヴィの報道が騒ぎを大きくした面もある。また外国メディアの扱いがおおざっぱすぎた印象があります。

まさにこの点が言いたかったのです。

ダブルという考え方については、以前に書いた投稿をお時間があったら是非読んでみてください。

・ハーフ、ミックス、ダブル
http://sahelnet.org/blog/tenere/archives/20030702_2234.php
・国際結婚への偏見
http://sahelnet.org/blog/tenere/archives/20031010_0851.php
・愛媛・今治西高の強打者、曽我選手
http://sahelnet.org/blog/tenere/archives/20030728_2317.php
・世界でいちばんたくさんある色
http://sahelnet.org/blog/tenere/archives/20030617_2318.php

これからもどうぞ、いろいろご意見を聞かせてください。
ね式、楽しみにしています。

今回の騒動をめぐっての、日本や他の海外での反応があまりに現実から遠いことにいらだって、jujubeさんの“同化”エントリに直、コメントさせていただきました。それ以前のエントリもちゃんと読んで理解すべきところを、どうも早合点。失礼しました。さっそく関連ぺージ読ませていただきます。また、奥様にもよろしくお伝えください。

先日病院で世話になったタムール系でしょう、Naraという名のインド人のかわいい見習い看護婦さんは、日本に叔父がいるけれど、奥さんは日本人ですっかり日本風の暮らしをしている。それで、こちらから遊びに行き辛い、と話していました。

こちらから、と、あちらからでは見方がいろいろ変わってくるのですね。

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このブログ記事について

このページは、Yoshinori FUKUIが2005年11月10日 07:53に書いたブログ記事です。

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