7月末に、サントメ・プリンシペ、リベリアなどの時事情報について簡単に触れました。
ギニア会の齊藤清さんが、石油の利権という観点からこのあたりの状況について簡潔にまとめてくださっています。
情報は 『金鉱山からのたより』というメールマガジンのものですが、バックナンバーをウェブ上で読むことができます。
どうぞご覧になってください。
2003年8月アーカイブ
台風に備えて、いざという時のためチームで会社に泊まり込みです。といっても2名だけですが。
東海地方は、深夜から明け方が台風の通過時間のようです。朝までに2〜3度現場を見回ります。
基幹サーバとファイルサーバは、念のためおとしました。ネット回線はつないだままです (^_-)v
というわけで、停電やインターネット回線の切断がなければ、見回り時間以外は、朝までネットしてます。
被害がありませんように。
追記:
22:00 まだ雨足も強くなく暇。日本とサヘルの災害を比べてみました。
00:00 現場巡回。うっ、カッパに頭のフードがついてない・・・チェックの不備σ(^_^;
01:30 風は強いけど雨はまだそれほどでもないですね。座っていると眠い〜
02:40 満潮過ぎました。高潮の最大のリスクは過ぎたわけで一安心。
03:15 2度目の巡回。風と雨が強くなってきました。
05:00 3度目の巡回。問題なし。しかし風と雨がすごい!
08:30 家に着いたら、玄関の花梨の木が倒れていました (T_T) 植え直せば大丈夫かなあ
では、ちょっと寝ます。おやすみなさい。
いやー、おもしろかった。ジョニー・デップいいねー。
引用元:Mica's Album: Pirates of the Caribbean
妻と娘がアフリカに里帰り中なので、ひとりで見てきました。若いカップルばかりでちょっと寂しかったけれど。
ジョニー・デップの演技とキャラクターに惚れました。
久々に爽やかな余韻をもって劇場を出られた映画でした。
エルマー、ドリトル先生、ガンバ、母を訪ねて三千里、アラビアのロレンスなどを読んで、冒険にあこがれていた少年時代を思い出しました。
冒険小説は私の原点です。
「ミントティー」の方にこう書きました
サハラの砂の海はその怖さを認めた上で大好きで、いつでも乗り出せますが、本当の外海は実は怖いです。
サヘルで暮らしていると、毎日、自然の大きさ、力を目の当たりにして、人とはなんて小さなものなのかと感じました。
一方、日本に来て感じたのは、人の力によって変えられ、消えていく自然でした。
しかし昨日の台風には、人の力で御しきれない自然も恐ろしさを見せつけられました。
そんな気持ちも冷めやらぬうちの報道です。
私のサヘル・サハラとの付き合いは、冒険心という原点で書いたようにラクダでサハラ砂漠を横断したいという冒険心から始まりました。
でも、突然サハラに出かけてラクダを買ってサハラに乗り出すのは、初めてボートに乗ったその日に太平洋横断をしたり、登山用具を買ったばかりでアイガー北壁に挑むような無謀な行為です。
決心してから、アラビア語を学び、体力をつけ、現地の生活の知識を書物から学び、航海の技術を習得し、現地を2度訪れました。
故植村直巳さんにもお会いしました。故上温湯隆さんを西アフリカで世話した時事通信の長沼節夫さんにもお会いしました。私の前にサヘルでラクダの旅に挑戦した人たち、遊牧民と暮らした人たちからも話を伺いました。
そんな準備に大学の4年間を費やしました(おい)。
それからサヘルに入り、1年間遊牧民に弟子入りし、テントに住み込み、同じものを食べ、同じ服を着て、ラクダの扱い方、どうやって逃げたラクダを探し捕まえるか、ラクダが病気になったらどうするか、トゥアレグの言葉、砂漠の生活などを学びました。
バラスト水問題では、米国の五大湖地方で欧州の貝やカスピ海のハゼが異常繁殖したり、米国のクラゲが黒海で繁殖して魚の卵を食い荒らしたりして問題になった。日本でバラスト用に積んだ海水が原因と見られるヒトデ類がオーストラリアのタスマニア水域で繁殖し、貝産業の脅威になっている事例も報告されている。東京湾でも、バラスト水でやってきたとみられるカニや貝などが見つかっている。 (中略) 資源、食糧の輸入大国である日本は、その分、荷の代わりにバラスト水を世界に送り出していることになる。日本海難防止協会の調査(97年)では、日本で排出されるバラスト水は年間約1700万トンなのに対し、日本から持ち出されるバラスト水は約3億トン。「世界有数のバラスト水輸出大国」(環境省)だ。
グローバリゼーションの社会・経済的な問題は、よく聞くし常日ごろ考えていることでもあるが、こういう陸地と陸地を結ぶ空間としての海の、人の手による自然に対する影響も忘れちゃダメですね。
自分にとっては盲点でした。
おとな、こども、市民、大統領の命の重さに違いがあるでしょうか。
戦争した国の大統領(首相)は、残りの人生を相手国の刑務所で過ごす、という世界的な法律があると、核より抑止力があるかも。
1990年代前半、セネガルにいた頃、マリの内戦が厳しくなっていました。
学生をやめて反乱軍に入った友人がいました。政府に反することをしたわけでなく、普通に暮らしていただけで、ただ民族の違いから殺された友人が何人もいました。
ダカールには、難民化した人たちも、欧米諸国や国連関係者との対話のために反乱軍のリーダーたちが入れ替わりやって来ました。
戦争を逃れてきた人たち、反乱軍の友人からのメッセージ、反乱軍のリーダーたちから、いろいろな話を聞きました。
そんな中で私に向けられた今も忘れられない言葉があります。
リベリアでは11日、テーラー大統領が、ブラー副大統領に政権を譲り退陣しナイジェリアに亡命しました。
これにあわせて、最大の反政府勢力「リベリア和解民主連合」(LURD)は首都周辺からの撤退と自由港を多国籍軍の上陸や緊急援助食糧の陸揚げのために明け渡すことに同意しました。
平和に向けて一歩が進んだように見えます。
しかし、
今日は、終戦記念日の特集番組を見ながら、戦争の悲惨さと平和について考えていました。
平和ってなんなのか、考えてみると難しいですね。
ともかく、戦争のない毎日を生きていられることはありがたいと思いました。
同時に、今も紛争が続く西アフリカの人々のことを思いました。
急に、妻や娘の声が聞きたくなりました。