日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

2003年4月アーカイブ

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世界測地系

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地図に関する話をもうひとつ。

 東京都は、改正測量法が2002年4月1日に施行され、緯度・経度が世界測地系に基づいて表示することとなったことを受けて、東京都公共基準点(1級基準点相当)を世界測地系に変換し、新座標値を2003年4月1日より公表した。  2001年6月20日に測量法が改正され、緯度・経度は世界測地系に基づいて表示することになった。この世界測地系に基づく緯度・経度の値は、東京付近では現行の緯度・経度の値と比較して、緯度で約+12秒、経度で約−12秒の差となる。これは距離にすると約450m。補正量は、地域によって少しずつ違う。

引用元:Nikkei BP Network | BizTech | 東京都が公共基準点を世界測地系に変換、公表

少数民族

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プロジェクトX「地図のない国 執念の測量1500日」についてもうひとつ。

物語の中で、地図作りの場所、密林の中の恐ろしい少数民族が描かれていました。
彼らに近づくために作った辞書が映し出され、ナレーションでも、こんにちはは「アニスーマー」と言うのだとありました。

これは明らかにマンディング系の言語です。
そしてマンディング系マリンケは、ギニアで1・2番の人口の民族です。
これはどういうことでしょうか。

地図にないしるし

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昨日は、地図にまつわる思い出を書きました。
今日は、砂漠の暮らしと旅で学んだ、地図には描かれない風景についてお話ししたいと思います。

砂の上の足跡

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自然の中のしるしは、草木や動物や人が「砂漠の中のほらここに私がいるんだよ」と主張しているメッセージです。 サヘルで暮らしていて、ある日、自分も毎日の旅や暮らしを通して、自然の中にたくさんのしるしを残しているんだと気がつきました。

MALI&DESERT BLOG: 地図にないしるし

昨日書いたことですが、それで思い出した私の青春の1ページ。

郵便物の遅配

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日本郵政公社は8日、神戸中央郵便局からフランス・マルセイユ郵便局にあてた船便による郵便小包162個が、通常より2カ月遅れて届いた遅延事故があったと発表した。昨年12月17日に積み出し、今年1月28日にマルセイユ港に到着したが、運送した商船三井と現地郵便局の連絡ミスで、マルセイユ郵便局に小包が引き渡されたのは3月31日になった。小包のほとんどはフランス国内あてで、一部にアフリカのニジェールやブルキナファソあてもあった。フランス国内なら遅くとも1月末から2月第1週に届くのが通常の配達期間で、届いていないとの問い合わせが多いため調べたところ、遅延を発見したという。差出人には、小包を引き受けた郵便局から謝罪する予定。

引用元:毎日Interactive・郵便:フランスあての小包が2カ月遅れる 連絡ミスで

ニジェールやブルキナファソ宛の荷物も含まれていたんですね。
企業関係だと東京から発送するものが多いでしょうから、ニジェールとブルキナファソでたくさん活動していらっしゃる青年海外協力隊の隊員宛のご家族や友人からの小包だったのではないでしょうか。

私は一度、アルジェリアのインサラーというところから送った小包を、日本で3年後に受け取ったことがあります。
3年間もどこで眠っていたのでしょうか。
青いガンドゥーラ(アルジェリアのブーブー)からこぼれ落ちるサハラの砂を集めて、砂漠のオアシスを思い出しながら眺めていました。

一人当たり水量

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そして今回京都で開催された第三回水フォーラムで主張されたトリックは、前回のオランダ以来の「一人当たり水量」というものである。その国の総水供給量を、その国の総人口で割った数字である。これが減っているから人々が水に困るのであり、ダムなどで水量を確保すべきだという論理である。確かに人口が増加しているのだから、確かに一人当たりの水の量は減っていく。「このままでは足りない」という、一見もっともらしい理由に納得させられる。しかしこれもトリックだ。もし一人当たりの水を、総人口が確保したらどうなるか。農業が一切できなくなる。では逆に、現状の農業が先に取ったらどれだけ残るか。農業が衰退している日本ですら、三分の二の水がなくなる。多くの途上国では、水の70%が農業に利用されている。つまり人々が生活に必要とする水はわずかなものに過ぎず、「一人当たり水量」は架空の数字なのだ。
(中略)
水はワンウェイ容器のように、一回使うと使えなくなるものではないのだ。家庭でも風呂の残り湯を洗濯に使うように、水は何度もリサイクルして使うことができる。質の高いものから順に、カスケード(小さな滝の意=段階的に利用すること)利用すれば、水は「一回限り」で終わるものではないのだ。農業で利用された水にしても、蒸発した分を除いて流れに戻ってくる。
(中略)
これを「一人当たり水量」として、誰もが自分のものとして独占することを前提に計算するのなら、どんなに水が豊富でも足りなくなるのだ。実際、この日本は大変水に恵まれた国のように思うが、データによると水質は全世界第五位だが、その量となると106位に落ちるという。しかし生活実感として、それほど水が不足しているとは思えない。ここに「一人当たり水量」というトリックがある。私たちは全世界で106位に数えられるほど水に困ってはいない。水は社会全体で使われ、しかも循環利用されているからだ。

引用元:第7回 「一人当たり水量」というトリック

世界水フォーラムへのこんな批判を見つけた。田中優の「もうひとつの未来」──分散型社会に向けての1コラムだ。
一読して、もっともな批判と思ったが、どうも引っかかった。

1日1人に必要な水の量

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ブログ「SAHEL BLOG」 で書いた「1人当たり水量」に関連する投稿です。

水袋ラクダに乗って旅していた時、水はヤギの皮の袋に水を入れていました。
首を切って殺したヤギの頭と手足の先をとり、胸の部分をできるだけ小さく縦に裂いて、そこから骨と肉と内臓をうまく取り出した後、縫い合わせます。
ですからこの水袋はヤギの胴体の形をしています。
この水袋は、もとのヤギの大きさによりますがだいたい20リットルくらい水が入りました。

バナナ絶滅のから騒ぎ

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世界的に人気の高い果物の1つであるバナナが長年にわたり繁殖しておらず、このままでは将来絶滅する恐れがある、との学説が発表された。
発表したのはフランスのモンペリエに本拠をおく「バナナ・オオバコ改善国際ネットワーク」のトップで、ベルギー出身の植物病理学者エミル・フリゾン氏。
同氏は、バナナは繁殖能力も種子も持たないため、科学的な力を借りなければ今後10年以内に絶滅する可能性がある、と指摘する。
バナナには、現在バナナ農園に蔓延している病気や害虫を克服するための遺伝的な多様性が欠如しており、この状況を救えるのは生物的・遺伝的な操作しか考えられない、という。
この学説を紹介した英科学誌「ニュー・サイエンティスト」は、「フリゾン氏は(科学が)バナナにとって唯一の希望、との見方を示している」と記述。
もし科学的な助力がなければ、バナナの生産は減少し、絶滅への第一歩が刻まれる可能性がある、という。
同誌は、「飢餓に苦しむ人々や貧困にあえぐ人々の命を救うとともに、世界のスーパーマーケットの棚の常連であるバナナが、絶滅する可能性さえある」と付け加えた。

引用元:goo [ニュース] バナナが10年以内に絶滅も、科学的な助力ないなら=学説

この話題は今年1月頃、ウェブ上で大きな話題になっていましたね。
しかし、バナナの品種は何百種もあるはずで絶滅すると言うことは、全種が同じルーツのクローンだったのかとびっくりして、調べてから書こうと思ってそのままになっていました(汗)

しかしその後、エミル・フリゾン博士自身が、やはり「絶滅などと絶対に言っていない」とおっしゃったそうです。

パブリック・スペース

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 XMLによる外部へのデータ提供は、日本人の「引きこもり性」に合っていないのではないかと思うことがあります。自分のホームページのデータを誰でも勝手に使えるように公開するという方法と、日本人の持つ「ホームページ」という私物感とが相容れないのではないかと思うのです。海外では、ホームページを作成し公開するということは、万人に公開することだという認識があると思うのですが、日本では「我が家へようこそ」というのがホームページに対する認識ではないでしょうか。
 それは家の構造でも似ていると思います。日本の家屋の場合、「まず靴を脱いでください。ここからは我が家です」という感じですよね。でも海外では、個人の領域というのは部屋であって玄関ではない。靴で家の中に上がっていって、本当に靴を脱ぐのは部屋の中です。海外のウェブページというのは家の玄関と同じように、必ずしも個人の所有物ではないという意識があるのではないでしょうか。その辺の心理モデルではないですかね。
 例えばはてなアンテナでも、日記サイトを運営している人が「勝手に自分の日記をアンテナにのせるな」というケースがあります。自分が書いたものが勝手に世界中に広がっていくということが、日本人の心理モデルに合わないという根源的な問題がある。「自分の文章が勝手に他のところに掲載されている」という感覚ですね。そういった著作権の問題とXMLの問題は関連があると思います。

引用元:CNET Japan - 「日本人にはBlogより日記」、はてなの人気に迫る

文化の差異によるBlog と日記サイトの受け止められ方のすばらしい考察から外れたコメントになりますが、家の構造の話について、なるほどと思いました。

「魚食文化に関連して」:
日本人は、主食と副食という分け方をする。日本人の主食は米で、欧米人はパンであると思っている人が多いが、実際先進国に住んでみて果たして主食といえるものがあるか、疑問である。アメリカで主食(ステーブルフード)は何かという質問をしてみると、皆首を傾け、肉かなという人もあるし、ジャガイモかなという人もある。しかし、パンであるという人は極めて少ない。これが、途上国に行けば行くほど、主食がはっきりしてくる。メキシコに行けば、トウモロコシであるし、アフリカでは場所によってはタロイモ、バナナ、クスクス、米などがこれに相当する。ということは日本で米を主食と考えていたのは、日本の食生活の後進性を示しているのであり、特に最近の若者は米を主食とは考えなくなりつつあるのかも知れない。(三宅真著「世界の食文化考」)

引用元:ここには、釣りやコレクションなどの含蓄のある言葉を乗せてみようと思っています。

国・地域によっては、主食・副食という区別ができないというという指摘はもっともだと思います。
しかし、「先進国」の食事が「先進性」を持っているのか、私は疑問に思います。

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