第3回アフリカ開発会議のために来日されたマリのトゥーレ大統領とお会いすることができました。
私たち夫婦は、トゥーレ大統領に関しては、実は複雑な思いがありました。
2003年10月アーカイブ
マリ大統領と日本のNPO/NGOとの懇談会に出席させていただきました。
率直に言って、日本のNPO/NGO側の懇談会に対する認識不足を強く感じました。
(2003.10.4改稿)
質問なんですけど、昔ながらの生活って今もあるんですか?
伝統とか文化というものは、実は不変的なものじゃなく、時代によって移り変わってきたものですよね。
だから「昔ながらの生活」というものも、固定的に捉えることはできません。
でも、その地域に適した持続可能な営みだからこそ、現代のグローバリゼーションの波に飲み込まれるまで、長い年月続いてきた暮らし方というものがあると思います。
それを「昔ながらの暮らし」と呼んでもいいのではないでしょうか。
そしてそれは今も確かにありますね。
いくら忙しくても、本当にそれを実行したいと思うのなら、どうにかしてその時間を作り出すことは可能なのだ。誰にも平等な時間は同じだけある。人によって多いとか少ないとかはない。自分で組み立てることが可能なのだ。重要なのは、大事なものから順番に時間を取っていくということなのかもしれない。
子供の時は、何でもできる気がしていました。
でも大人になって、できることとできないことがあるということ、そしてできること、やりたいこともぜんぶ一緒にはできないから、優先順位をつけないといけないと学びました。
先に書かれことには、まったくその通りと頷きました。
でも、納得しつつも、あれ?という思いがあります。
サヘルの暮らしの方が、日本よりやりたいことがたくさんできていた気がすることです。
今日、Lost in Translationという映画を見た。Bill Murray扮するアメリカの有名俳優が日本にコマーシャルの撮影に行って、異文化の孤独の中で人生の意味を考える、というもの。
私は、サヘルにいて孤独感とかホームシックを感じたことはありません。
けれども日本人の私が、日本にいて孤独感を感じることがしばしばあります。
こうした行為は、教諭が家庭訪問で、児童の曽祖父(そうそふ)が米国人だと知った翌日から始まっており、暴力以外にも「血が汚れている」などと差別的な発言を何度もしていた。児童は現在も「自分の血が汚れている」と思いこまされたままで、PTSDの症状があり、医師の判断で9月上旬から登校を控えているとしている。
教諭は6月に学級担任を外され、8月に市教委から停職6カ月の処分を受けた。しかし、その後も児童を中傷する虚偽の電話を同級生宅にかけるなどの行為を続けていたという。
このニュースは昨日も流れていました。
その時は、どうして「おまえの血は汚れている」なんて教え子に言ったのだろうと不思議に思っていました。
しかし今朝、この教師のいじめは、生徒のひいおじいちゃんがアメリカ人だと知った翌日から始まったと知りました。
国際結婚をして、子供を持つ親として怒りが収まりません。
環境省は解剖して死因を調べるとともに、将来の遺伝子技術の発展に期待をかけたトキの「再生」にも備え、肝臓など内臓の細胞を凍結保存する。
かつては日本のあちこちに生息し、学名ニッポニア・ニッポンと呼ばれる鳥の、日本産の最後の一羽が死んだ。
放射能の影響で、苦しみ、亡くなる子どもがいまも絶えない現実を知った。「過去の話じゃなかった」。
私にとってチェルノブイリの原発事故は、コーンビーフと粉ミルクの味にまつわる思い出です。
ネスカフェでは、この見事なCMのスクリーンセーバーを公開している。
谷川俊太郎の詩『朝のリレー』の英語の朗読と谷川賢作のピアノ曲『天使の涙』によるこのCMを、昨日初めて見たところでした。
この詩を聞きながら、日本とサヘルの時差が9時間あることをすぐに考えていました。
個人的には、こんな一節を足してこの詩をもっと楽しみたい気持ちです。
日本の妹が宿題を終える頃
サヘルの兄は、冷たい砂に震えながら薪に火をつける
しばらく、この「朝のリレー」のスクリーンセーバーを使わせてもらおうと思います。
ネスカフェのCM「朝のリレー」と福岡の教師のいじめで思い出したもうひとつのCMについて
こういう個性を伸ばせるように子供を育てたいと思います。
学校にもそう願うのは無理なのでしょうか。