asahi.comのbe on Sundayシリーズの「もっとカルチャー」の第一回目として、マリのジェンネのモスクが、建築史家の藤森照信氏によって「奇想遺産」泥の大モスクというタイトルで紹介されています。
2005年10月アーカイブ
まずは、根室沖の漁船転覆事故で亡くなられた方に謹んで哀悼の意を表します。
asahi.comの記事によれば、第3新生丸と衝突したイスラエル船籍のコンテナ船を所有するZIM社の親会社会長と社長が、テルアビブの日本大使館を訪れ、衝突を認め謝罪し、ご遺族への支援を表明されたそうです。
取り返しのつかない事故ですが、(社会的あるいは政治的配慮があったにせよ)相手方から誠意ある対応があったことは、せめてもの救いでしょうか。
記事に書かれていた、船会社の会長の次の言葉が、「砂漠の掟」に通じるものがあると、印象に残りました。
先の投稿で、「砂漠の掟」と砂漠の民の相互扶助の倫理観を持ち上げておいてなんですが、資源が非常に限られている砂漠では、相互扶助のシステムがあまり相互依存が強すぎると、共倒れして全滅してしまうリスクがあります。
ですから、それは弱い個人に対しては有効であっても集団に対しては適用されなかったり、「部族」という閉じた集団内でのみ有効であったりします。
自分の属する集団の生存のため、他の集団から搾取する(略奪や戦争)という行為も、かつては「砂漠の掟」でした。
厳しいし全条件の中、多すぎず、少なすぎず、という社会的「調整」が「砂漠の掟」なのかも知れません。
今週初めから、妻が気管支の調子が悪くて寝込んでいます。
薬を処方してもらったら、症状は軽くなったのですが、薬が強すぎて夜中に手足に震えがきたり、体の芯から疲れて起きられなくなってしまいました。
医師と相談の上、薬は一旦止めて、明日再診の予定です。
私の方は、昨日からラマダーン(断食の月)が始まりました。
しかし、仕事が終わって帰宅後、妻の代わりの家事や娘の世話と、ラマダーンで生活のリズムが変わったのに体がついてこられず、どうもじっくりパソコンに向かえません。
数日ほどブログの更新が不定期になるかもしれません。
ご了承ください。
妻の体調は少しよくなりました。
やれやれ。
ラマダーンにも慣れてきました。
というわけで、このブログを動かしているプログラムMovable Typeの新しいバージョンに合わせて、スタイルとついでにブログの構造を少し変更しようと思います。
今日一杯、お見苦しいかもしれません。
すみません。
(今日中に何とか終わらせたいけれど、夏物の整理、掃除の手伝い、草刈りもあるし・・・終わるかなあ)
追記
メインページ(トップページ)と個別のページだけようやく終わりました。
ブラウザで、表示するフォントの大きさを変更できるようにしました。
しかし、変更するページはまだ10数ページあります(涙)
はてなRSSというサービスを利用して、アフリカ関係のブログやニュースの更新を確認できるコーナーを作りました。
アフリカ関係のRSS
愛知万博のモーリタニアの責任者の方から、万博が終わった後、モーリタニアのサハラ砂漠の砂を譲り受けました。
そのままで砂時計に使えそうな、さらさらの砂です。
その砂が指の間からこぼれ落ちて行く感触を楽しんでいたら、こんな砂漠の懐かしい暮らしが目に浮かびました。
固有の文化や多文化主義をグローバル化から守るため、各国が保護や助成などの措置を取ることを認めた「文化多様性条約」をユネスコが大多数の賛成で採択したそうです(asahi.com:文化多様性条約、ユネスコ委が採択 米国は反対 - 国際)。
151カ国が賛成、反対は、米国とイスラエルの2か国、オーストラリアと太平洋の島国キリバスが棄権、だそうです。
妻が、研究者の方にタマシェク語を教えることになりました。
もともと結婚するまで数年間、ユニセフで成人女性の識字教育の普及員をしていましたので、言葉を教えるのは大好きです。
私みたいに「いらち」じゃないので、忍耐強く教え、評判も良かったようです。
妻の教え子たちが、マリ国内のタマシェク語識字教育の国営ラジオ・ヒヤリングテストで一番になったこともありました。
私の仕事でセネガルやブルキナファソに滞在していた時も、自分から近くの女性を集めて識字教育のクラスを開いていました。