★国際結婚ポータルでインタビューを受けました。
サイトのインタビューの10月のところで読めます。
2003年12月アーカイブ
「MALI and DESERT BLOG:砂漠の魅力」のやりとりで、TAKE C さんは私と同じ「日本人遊牧民」なんだと感じました。
今日、TAKE C さんのブログの「ラクダな日常: 夢は現実になるか?」を読みその思いを強くしました。
ふたりとも、砂漠で暮らすことが夢なんですよね。
昨日ふれた、なぜラクダの旅という夢を途中でやめたのか、その気持ちの変化を書いてみようと思います。
これまでに書いた思い出話と重複しているところもありますが、わかりやすいようにひとつの流れとしてまとめてみました。
昨日の話には、実は苦い後日譚があります。
男の言葉と旱魃の厳しさから、ラクダの旅をやめることしました。
比較的豊かな土地を見つけ、そこの首長に頼んでラクダを預かってもらい南の町に下りました。
町は難民となった遊牧民で溢れていました。
欧米の団体から食料や医薬品の援助が盛んに行われていました。
しかしその多くは、町の有力者や商人の手に渡たっていました。
遊牧民の文化や習慣の無理解から、無理な計画が押しつけられたりあるいは実行されずに消えていきました。
不正が横行していました。
そして年が明けると数年ぶりの豊かな雨期が来ました。
北に戻ると、ラクダは一頭は餓死し、一頭は生き残っていました。
「これからどうしよう」
働きながら考えることにしました。
しかし、旱魃で家畜の数は激減しており、これまでに身に付けた家畜を扱う仕事はありません。
残った一頭のラクダとこれまでの旅で使っていた道具や衣類を、かつて住み込んでいた遊牧民の友の遠縁の男に預け、残った資金でものを買い商売をすることにしました。
数ヶ月留守にして帰ってくると預けた荷物は何も残っていませんでした。
なによりもまず、奥克彦さんと井ノ上正盛さんの死に深く追悼の意を表します。
USAが国連の機能を黙殺し力の理論によってイラクで戦争を始めようとした時、日本はそれを強く支持した。その日本の声は USA にだけでなく、戦争の矛先となる国の人々の耳に恐怖とともに届いていた。
今日の行い(奥さんと井ノ上さんの殺害)の主に、おそらくはそれが義勇的であると信じ込ませてしまうのは、文化の違いでも複雑な社会情勢でもなく、その根源は国土に累々としみ込んだ恐怖だ。自らの国に兵士を送り込んでくるといわれて恐怖しないものがいようか。彼らもまた恐怖のあまり「屈しない」と叫んだのだ。それに返して「屈しない」では誰がその連鎖を断ち切るのか。アメリカの行動がいかに自身の犠牲をもとにしていようと、誤りであるのが明確なのは、その行動が思いとどまるべき報復ですらない、無差別な懲罰と化し、国土を恐怖させていることだ。そして今の日本の態度の恐ろしいことには、自覚無く、その懲罰へ加担する事を表明することになっていることだ。
今年6月にただ生きていることのしあわせというタイトルで、あるCMを紹介しました。
それを見た時、生きることの意味を問い直された気がしました。
あのCMの少年の一生が『たったひとつのたからもの』という本になりました。
ラクダの旅から日本に戻った後、その旅を本にしては、というお話をいただきました。
しかし、遊牧民に問われた「旅の価値」をまだ自問自答していた時期でしたから、あれはあくまで自分の夢の実現のためのものだったことにこだわりたいとおもいました。
自分の「夢」を宣伝したり、それで報酬をもらうことに抵抗がありました。
また、日本の生活へのカルチャーショック、なにより砂漠について話しても「ふつうの日本人」とはまったく話が合わないことに愕然とし、砂漠の旅についてはあまり話をしなくなりました。
昨日書いた過去を見つめ、明日につなげたいにいただいた yamamoto さんのコメントへのお返事です。
かなり深く北アフリカ諸国でくらされたようですが帰国したさいに違和感を感じませんでした?
微々たる私の経験の中でアフリカから帰ってきたときに感じた違和感は今も忘れる事ができません。
(1)帰国すると携帯電話が劇的に普及していて、道を歩いているときに声をかけられたと思って返事をしたらその人は携帯電話で話していました。恥ずかしかったです。
(2)人の多さに気分が悪くなりました。特に満員電車は生理的に受け付けなくなりました。どうしても乗らないといけない時以外は満員電車には乗りません。
(3)理解したくないのに耳に入ってくる日本語の数々。思考を並列処理する事がなかったので今でも物事は一つ一つ片付けるクセがつきました。jujubeさんは如何でしたか?
引用元:MALI&DESERT BLOG: 過去を見つめ、明日につなげたい
Fikrimce さんの[Journal Hababam]で新・世界の七不思議を選ぶ投票について教えていただいた。
見てみると、なんとトンブクトゥがリストにありました!
12月17日時点でトンブクトゥーは21位。
なんだか自分のふるさとが有名になったみたいで嬉しいです。
でもサイトの中のトンブクトゥの紹介のページを見てずっこけました。
(2003.12.17 改訂)