日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

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息子の帰省

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たくさんの方からアドバイスや応援のメールをいただきました。
私も妻も、それを支えに、あちこちに連絡、手続き、交渉をしました。

在マリ、フランス領事館は週末の休みで連絡できませんでしたが、マリのエールフランスと国際電話で交渉しました。
交渉というより、大喧嘩でしたが・・・

昨日車の中で、娘が詩を暗誦してくれました。

わたしと小鳥とすずと

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地べた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

前回書いたように、バマコのエールフランスは、パリの空港通過に査証が必要ないとの見解を示してくださいました。
これは何度確認してもそうです。

しかし、在マリ・フランス領事館は、現地時間の月曜日夕方、息子のパスポート返却時に、
「空港トランジットの査証は出せない」
「査証なしでの旅行は保証しない」
と伝えたそうです。

息子はがっかりして、泣き崩れてしまいました。
家に帰ると、パスポートの表記の問題は、マリの不備な書類のせいだと、パスポートと一緒に提出した出生証明書(オリジナルではない)やそのほかの書類や写真を破り捨ててしまったそうです。
息子がかわいそうで、妻も眠れず、泣いています。
私も結局、マリとの連絡で一睡もできませんでした。

再度変更料金を支払い、息子は、本日のチケットを入手しました。
こちらからできることはすべてやったつもりです。

次の山場は、明日の朝。

朝5時前から起きてますが・・・できることないですね。
気を揉むだけ。

息子の帰省(パリ編)

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息子から、バマコに、シャルルドゴール空港に着いたと電話連絡がありました。
その連絡がバマコからありました。
電話を受けると、心配し通しだった妻の顔がぱっと明るくなりました。

夜中の1時半頃、息子が名古屋行きの便に乗ったと、バマコから電話がありました。
こういう電話なら、夜中に起こされても腹が立ちませんね。

写真か抱擁か

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今日の午後、セントレアで息子と一年ぶりの再会(できるはず、絶対できる!)。
息子と妻や娘の「感動の再会」を写真に残してあげたいと思うのですが、それより先に、自分が息子を抱きしめたいです。
写真か、腕の中の息子の感触か、どちらを取るか・・・
ジレンマです。

飛行場には、到着予定時間の1時間30分前に着きました。
早めに食事をして、到着のスケジュールを見ると、予定より40分以上早く飛行機が着いたと出ています。
時間を見ると到着時間からすでに10分ほど過ぎています。
急いで到着口のある階へ移動。

着いて2〜3分すると、ぽつりぽつりと人が出てきます。
妻は、はらはらしながら、出てくる人たちを眺めています。
「荷物がないのに息子が出てくるのが遅すぎる」
「迷っていないかしら」
「日本語がわからないから入管で問題になっていないかしら」
「入管が私たちを探しているのではないかしら」
「中でアナウンスしているみたいよ。私たちの名前を呼んでいるのではないかしら」
とにかくあらゆる心配をしています。

娘のフランス語

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日本の田舎にいると、フランス語に触れる機会は本当に少ないです。
確かに、妻との会話はフランスです。
しかし、妻も私もフランス語が母語ではないので、ボキャブラリが限られています。
ですからお互い、なかなかフランス語がうまくなりません。
それにふたりとも、アフリカ訛りです(汗)
うちでフランス語の発音が一番きれいなのは、8歳の娘です。

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