日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

Mali:暮らしの最近のブログ記事 4 / 8

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ラクダの旅から日本に戻った後、その旅を本にしては、というお話をいただきました。
しかし、遊牧民に問われた「旅の価値」をまだ自問自答していた時期でしたから、あれはあくまで自分の夢の実現のためのものだったことにこだわりたいとおもいました。
自分の「夢」を宣伝したり、それで報酬をもらうことに抵抗がありました。
また、日本の生活へのカルチャーショック、なにより砂漠について話しても「ふつうの日本人」とはまったく話が合わないことに愕然とし、砂漠の旅についてはあまり話をしなくなりました。

昨日書いた過去を見つめ、明日につなげたいにいただいた yamamoto さんのコメントへのお返事です。

かなり深く北アフリカ諸国でくらされたようですが帰国したさいに違和感を感じませんでした?
微々たる私の経験の中でアフリカから帰ってきたときに感じた違和感は今も忘れる事ができません。
(1)帰国すると携帯電話が劇的に普及していて、道を歩いているときに声をかけられたと思って返事をしたらその人は携帯電話で話していました。恥ずかしかったです。
(2)人の多さに気分が悪くなりました。特に満員電車は生理的に受け付けなくなりました。どうしても乗らないといけない時以外は満員電車には乗りません。
(3)理解したくないのに耳に入ってくる日本語の数々。思考を並列処理する事がなかったので今でも物事は一つ一つ片付けるクセがつきました。

jujubeさんは如何でしたか?

引用元:MALI&DESERT BLOG: 過去を見つめ、明日につなげたい


Fikrimce さんの[Journal Hababam]新・世界の七不思議を選ぶ投票について教えていただいた。

見てみると、なんとトンブクトゥがリストにありました!
12月17日時点でトンブクトゥーは21位。
なんだか自分のふるさとが有名になったみたいで嬉しいです。

でもサイトの中のトンブクトゥの紹介のページを見てずっこけました。
(2003.12.17 改訂)

ラクダのこぶ

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「週刊アスキー」というパソコン週刊誌に、浅暮三文著『魔法使いは缶詰にいる』という連載小説があります。この小説の1月20日号(通巻473号)にこんな部分があります

見えているのはピラミッド。
(中略)
あなたの背中は奇妙にでこぼこしている。まるで背中に巨大なペンだこでもできたように。つまりそれはふたつの瘤。あなたはいつの間にか、砂漠の駱駝に変身していた。

思わず「違うだろっ!」と心の中で叫んでしまいました。

同化しない生き方

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今の子たちには、ジーンズも化粧もピアスもファッションでしかない。自分自身を表現するんじゃなくて、周りと同化するためにおしゃれをしている。少し前まで自己を確立した大人の世界に属していたもの、そしてそんな大人の中でも強い自我を持つ人にしか許されなかったものが、その主義やスタンスはスポイルされてどんどん子供の世界に入っていく。そこに意味はない。あるのは同化と、そこからくる空虚さ。

引用元:cosi cosi:空虚な、タナトス。

サヘルの遊牧民の暮らしを考えてみると、ひとりひとりが多様性を持ちつつ集団に属するという点が、日本とは大きく違うなと、上記の書評を読みながら思いました。

四駆の思い出

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「今後のイラクでのビジネス展開や、宣伝効果を考えての値引き合戦だったのでは」と政府関係者は話している。

引用元:asahi.com : 政治 イラク支援パトカー、2倍の台数提供へ 値引き激しく

これを読んで、サヘルの四輪駆動車の車種の変遷を思い出しました。
1970年代までは、北・西アフリカの国々ではどこもイギリスのランドローバーが、一番普及し信頼されている四輪駆動車でした。しかし日本の車メーカーの攻勢があり、次第に勢力図が変わり始めました。

ミルク

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遊牧民は、たぶんみなさんが想像されるほど肉を食べていません。
自分の持っている家畜を殺すのは、お客さんがあったときだけだったりします。
内臓と一部の肉は、お客さんとその日のうちに食べてますが、大部分の肉は干し肉にして、少しずつ食べます。
家畜は、長期保存のできる食料倉庫であると同時に

  • ミルク及び乳製品の工場
  • 毛織物の工場
  • いざという時に換金できる預金のある銀行
  • 殺した後は、その皮がいろいろな生活必需品を生み出してくれる雑貨工場

などの役割を持っています。

日常の一部としての砂漠

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2002年、マリの北部で夏休み過ごす娘夕食の時、こんな話になった。
私「じゃあ、夏休みとか、ずっとマリの(遊牧民の)キャンプで過ごしても平気?」
娘「うん」
私「テレビなくてもいいの?」
娘「うん。いいよ」
妻「友だちと遊べない時にテレビを見ているだけで、本当は友だちと一緒に遊ぶ方が好きなのよ」
娘「マリに行くとおにいちゃんもいるしね」

義父の命日

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気が付くと義父の命日です。
私が尊敬してやまない人でした。
昨年その思い出をここに書きました。

「後戻りしないように」という義父の言葉をいつも胸にとめ、流されず1日1日をしっかりと生きていきたいと思います。

トゥアレグの食文化

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名古屋大学で行われた日本沙漠学会の沙漠誌分科会で発表させていただきました。

第5回日本沙漠学会沙漠誌分科会 テーマ:アフリカ乾燥地帯の食文化

他の発表者の方とそのタイトルは以下の通りでした。

石山俊(名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程)
「サハラ南縁地域の家庭における料理用薪消費量の考察」
浅野史代(名古屋大学大学院文学研究科博士前期課程)
「生活の中のソルガム酒−ブルキナファソ、ザブレ市の事例から−」

私は、
「マリ北西部トンブクトゥ地方のトゥアレグの食文化〜食における自然環境への対応とイスラムの影響〜」
というタイトルで発表させていただきました。

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