日本に戻り暮らし始めてから、サハラ再訪まで

Mali:暮らしの最近のブログ記事 3 / 8

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サハラの冒険

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私のサヘル・サハラとの付き合いは、冒険心という原点で書いたようにラクダでサハラ砂漠を横断したいという冒険心から始まりました。

でも、突然サハラに出かけてラクダを買ってサハラに乗り出すのは、初めてボートに乗ったその日に太平洋横断をしたり、登山用具を買ったばかりでアイガー北壁に挑むような無謀な行為です。
決心してから、アラビア語を学び、体力をつけ、現地の生活の知識を書物から学び、航海の技術を習得し、現地を2度訪れました。
故植村直巳さんにもお会いしました。故上温湯隆さんを西アフリカで世話した時事通信の長沼節夫さんにもお会いしました。私の前にサヘルでラクダの旅に挑戦した人たち、遊牧民と暮らした人たちからも話を伺いました。
そんな準備に大学の4年間を費やしました(おい)。

それからサヘルに入り、1年間遊牧民に弟子入りし、テントに住み込み、同じものを食べ、同じ服を着て、ラクダの扱い方、どうやって逃げたラクダを探し捕まえるか、ラクダが病気になったらどうするか、トゥアレグの言葉、砂漠の生活などを学びました。

赤血球の話

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昨日、「サハラの風」の脾臓の話の中で赤血球について触れて思い出した、鎌状赤血球のお話を。
西アフリカには、鎌状赤血球という、一般的な中央のくぼんだ円形ではなく遺伝的に半月状の赤血球を持つ人たちが大勢います。

昔ながらの暮らし

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質問なんですけど、昔ながらの生活って今もあるんですか?

日本の暮らしから: 中国の農村と都市

伝統とか文化というものは、実は不変的なものじゃなく、時代によって移り変わってきたものですよね。
だから「昔ながらの生活」というものも、固定的に捉えることはできません。
でも、その地域に適した持続可能な営みだからこそ、現代のグローバリゼーションの波に飲み込まれるまで、長い年月続いてきた暮らし方というものがあると思います。
それを「昔ながらの暮らし」と呼んでもいいのではないでしょうか。
そしてそれは今も確かにありますね。

ハンカチ落とし

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娘が毎月楽しみにしている「コラショ」という本についていたビデオをいっしょにみました。
その中で「ハンカチ落とし」という遊びが、インドや南米など世界中にあると紹介されていました。
私はこの「ハンカチ落とし」という遊びを知りませんでした。
みなさんはご存知でしたか?

「マリにも同じような遊びがあるのかなあ」
と妻に聞くと、同じような遊びがあるそうです。
フランスにもあるとのこと。

手紙の思い出

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日本トイザらスがこんなサービスを始めました。

必要事項を記入した申込用紙を店舗のポストに投函(とうかん)すると、12月中旬から25日の間に(フィンランドのサンタクロース)から手紙が届く。1199円で、売り上げの一部は難病と闘う子どもを支援する活動に寄付される。

引用元:asahi.com : 経済 「サンタからの手紙」 日本トイザらスが発売

お茶の飲み方

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大連で、お茶を売っているマーケットに行ってきました。
おいしそうなお茶をいくつか選ぶと、店の隣ですぐに試飲させてもらえました。
そのお茶の煎れ方は、西アフリカの「茶道」に似ていました。
西アフリカの茶道のルーツは、中国茶を使っていることからもやはり中国なのかも、と思いました。

マリ料理

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マリ料理を作る今日は京都で、妻がマリ料理を作りました。
作ったのは、アルマルガ・マーフェ(トマト・ソース)とフォコホイ(モロヘイヤ・ソース)の2品でした。
アルマルガ・マーフェは、マリ北部だけでなく、バマコなど南部でもよく食べられるマリの代表的な料理です。
ただし味付けは北と南でずいぶん違います。
フォコフォイは、モロヘイヤとシアバター(カリテ)をふんだんに使ったマリ北部の郷土料理です。

夢の実現、砂漠の暮らし

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MALI and DESERT BLOG:砂漠の魅力」のやりとりで、TAKE C さんは私と同じ「日本人遊牧民」なんだと感じました。
今日、TAKE C さんのブログの「ラクダな日常: 夢は現実になるか?」を読みその思いを強くしました。
ふたりとも、砂漠で暮らすことが夢なんですよね。

昨日ふれた、なぜラクダの旅という夢を途中でやめたのか、その気持ちの変化を書いてみようと思います。
これまでに書いた思い出話と重複しているところもありますが、わかりやすいようにひとつの流れとしてまとめてみました。

ラクダの旅の後日譚

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昨日の話には、実は苦い後日譚があります。

男の言葉と旱魃の厳しさから、ラクダの旅をやめることしました。
比較的豊かな土地を見つけ、そこの首長に頼んでラクダを預かってもらい南の町に下りました。
町は難民となった遊牧民で溢れていました。
欧米の団体から食料や医薬品の援助が盛んに行われていました。
しかしその多くは、町の有力者や商人の手に渡たっていました。
遊牧民の文化や習慣の無理解から、無理な計画が押しつけられたりあるいは実行されずに消えていきました。
不正が横行していました。

そして年が明けると数年ぶりの豊かな雨期が来ました。
北に戻ると、ラクダは一頭は餓死し、一頭は生き残っていました。
「これからどうしよう」
働きながら考えることにしました。
しかし、旱魃で家畜の数は激減しており、これまでに身に付けた家畜を扱う仕事はありません。
残った一頭のラクダとこれまでの旅で使っていた道具や衣類を、かつて住み込んでいた遊牧民の友の遠縁の男に預け、残った資金でものを買い商売をすることにしました。

数ヶ月留守にして帰ってくると預けた荷物は何も残っていませんでした。

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