1990年代前半、セネガルにいた頃、マリの内戦が厳しくなっていました。
学生をやめて反乱軍に入った友人がいました。政府に反することをしたわけでなく、普通に暮らしていただけで、ただ民族の違いから殺された友人が何人もいました。
ダカールには、難民化した人たちも、欧米諸国や国連関係者との対話のために反乱軍のリーダーたちが入れ替わりやって来ました。
戦争を逃れてきた人たち、反乱軍の友人からのメッセージ、反乱軍のリーダーたちから、いろいろな話を聞きました。
そんな中で私に向けられた今も忘れられない言葉があります。
日本:暮らしの最近のブログ記事 5 / 15
今日は、終戦記念日の特集番組を見ながら、戦争の悲惨さと平和について考えていました。
平和ってなんなのか、考えてみると難しいですね。
ともかく、戦争のない毎日を生きていられることはありがたいと思いました。
同時に、今も紛争が続く西アフリカの人々のことを思いました。
急に、妻や娘の声が聞きたくなりました。
マリに里帰りしていた妻と娘が明日の朝、1か月ぶりに日本に戻ってきます。
お土産をいろいろ頼んだ手前、荷物が多くて大変だろうと成田空港まで出迎えに来ました。
いえ、本音は早く会いたいからです。はい。
ご他聞に漏れず、わが家にもテレマーケティングつまり電話による勧誘がひっきりなしにかかってくる。
妻によれば、我が家でも平日の昼間、電話でのいろいろな勧誘もすごくあるそうです。
妻の撃退法は、
「ニホンゴ、ワカリマセン」
いくら忙しくても、本当にそれを実行したいと思うのなら、どうにかしてその時間を作り出すことは可能なのだ。誰にも平等な時間は同じだけある。人によって多いとか少ないとかはない。自分で組み立てることが可能なのだ。重要なのは、大事なものから順番に時間を取っていくということなのかもしれない。
子供の時は、何でもできる気がしていました。
でも大人になって、できることとできないことがあるということ、そしてできること、やりたいこともぜんぶ一緒にはできないから、優先順位をつけないといけないと学びました。
先に書かれことには、まったくその通りと頷きました。
でも、納得しつつも、あれ?という思いがあります。
サヘルの暮らしの方が、日本よりやりたいことがたくさんできていた気がすることです。
今日、Lost in Translationという映画を見た。Bill Murray扮するアメリカの有名俳優が日本にコマーシャルの撮影に行って、異文化の孤独の中で人生の意味を考える、というもの。
私は、サヘルにいて孤独感とかホームシックを感じたことはありません。
けれども日本人の私が、日本にいて孤独感を感じることがしばしばあります。
こうした行為は、教諭が家庭訪問で、児童の曽祖父(そうそふ)が米国人だと知った翌日から始まっており、暴力以外にも「血が汚れている」などと差別的な発言を何度もしていた。児童は現在も「自分の血が汚れている」と思いこまされたままで、PTSDの症状があり、医師の判断で9月上旬から登校を控えているとしている。
教諭は6月に学級担任を外され、8月に市教委から停職6カ月の処分を受けた。しかし、その後も児童を中傷する虚偽の電話を同級生宅にかけるなどの行為を続けていたという。
このニュースは昨日も流れていました。
その時は、どうして「おまえの血は汚れている」なんて教え子に言ったのだろうと不思議に思っていました。
しかし今朝、この教師のいじめは、生徒のひいおじいちゃんがアメリカ人だと知った翌日から始まったと知りました。
国際結婚をして、子供を持つ親として怒りが収まりません。
環境省は解剖して死因を調べるとともに、将来の遺伝子技術の発展に期待をかけたトキの「再生」にも備え、肝臓など内臓の細胞を凍結保存する。
かつては日本のあちこちに生息し、学名ニッポニア・ニッポンと呼ばれる鳥の、日本産の最後の一羽が死んだ。
ネスカフェでは、この見事なCMのスクリーンセーバーを公開している。
谷川俊太郎の詩『朝のリレー』の英語の朗読と谷川賢作のピアノ曲『天使の涙』によるこのCMを、昨日初めて見たところでした。
この詩を聞きながら、日本とサヘルの時差が9時間あることをすぐに考えていました。
個人的には、こんな一節を足してこの詩をもっと楽しみたい気持ちです。
日本の妹が宿題を終える頃
サヘルの兄は、冷たい砂に震えながら薪に火をつける
しばらく、この「朝のリレー」のスクリーンセーバーを使わせてもらおうと思います。
ネスカフェのCM「朝のリレー」と福岡の教師のいじめで思い出したもうひとつのCMについて
こういう個性を伸ばせるように子供を育てたいと思います。
学校にもそう願うのは無理なのでしょうか。